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内田 樹 氏(書籍『街場のメディア論』より)

このページは、書籍『街場のメディア論』(内田 樹 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・テレビ放送を担っている当事者たちから「どんなことがあってもテレビは消滅してはなりません。なぜなら・・・・・・」という文型で、テレビ有用論の論拠を聴いた覚えが、僕はありません。


・気をつけなければいけないのは、この悲観的な出版データが意味するのは必ずしも「本を読みたい人」が減っていることではないということです。(中略)

「本は読みたいのだが、読みたい本がみつからない」のかもしれない。あるいは「読みたい本はあるのだけれど、買うお金がない」のかもしれない。それはわからない。僕たちにわかっているのは実売部数が減っているということだけです。


・僕はわりと本を買う人間でしたし、今でも毎月十万円くらい本を買っています(人文系の学者としてはそれでもひどく少ないほうですけど)。書き手としての実感からも、「売れなくなった」とは思いません。


・知的劣化は起こっていない

それと同じようなことを村上春樹さんも柴田元幸さんとの対談の中で言っていました。

「いい小説が売れない、それは読者の質が落ちたからだっていうけれど、人間の知性の質っていうのはそんなに簡単に落ちないですよ。ただ時代時代によって方向が分散するだけなんです。この時代の人はみんなばかだったけど、この時代の人はみんな賢かったとか、そんなことはあるわけがないんだもん。(中略)今はたまたま来ないというだけの話で、じゃあ水路を造って、来させればいいだよね。」


・他の研究者が引用したり言及したりしてくれると、それが研究者としての実績にもなるので、自分の著作や論文がネットで検索できるのは大歓迎ということになります。


・図書館に新刊を入れることに反対する人は、たぶん「自分の本を読む」よりも「自分の本を買う人」のほうに興味があるのだと思います。だから、「無料で自分の本を読む人間」は自分の固有の財物を「盗んでいる」ように見える。でも、それはかなり倒錯的な考え方のように僕は思えます。


・僕は書籍というのは「買い置き」されることによってはじめて教化的に機能するものだと思っています。


・僕たちは「今読みたい本」を買うわけではありません。そうではなくて「いずれ読まねばならぬ本」を買うのです。それらの「いずれ読まねばならぬ本」を「読みたい」と実感し、「読める」だけのリテラシーを備えた、そんな「十分に知性的・情緒的に成熟を果たした自分」にいつかはなりたいという欲望が僕たちのある種の書物に配架する行動へ向かわせるのです。


・本を読むための機会はできるだけ多様であったほうがいいと僕は思っています。


・「本を自分で買って読む人」はその長い読書キャリアを必ずや「本を購入しない読者」として開始したはずだからです。すべての読者人は無償のテクストを読むところから始めて、やがて有償のテクストを読む読者に育ってゆきます。この形成過程に例外はありません。ですから、無償で本が読める環境を整備することで、一時的に有償読者が減ることは、「著作者の不利」になるという理路が僕には理解できないのです。


・多年にわたり、読者に向けて無償の情報を発信し続けることを通じて、結果的には「これくらいのクオリティの文章なら、有償で購入してもよい」という人が出現してきた。

それはある意味では、化粧品の試供品と一緒だと思います。


●書籍『街場のメディア論』より
内田 樹 著
光文社 (2010年8月初版)
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