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書籍『音羽 vs 一ツ橋~巨大出版社の研究』(創出版 刊)より

このページは、書籍『音羽 vs 一ツ橋~巨大出版社の研究』(創出版 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・神吉は、組合の要求を容れて引責辞任した。しかし、その後の争議は、ロックアウト→組織暴力団導入→第二組合分裂→五十五名もの大量解雇→組合員の逮捕者延べ五十七名に及ぶ刑事弾圧と果てしもなく泥沼化していく。『女性自身』『月刊宝石』も一時、休刊を余儀なくされ、業界では、“光文社危機”はささやかれた。


・『日刊ゲンダイ』が講談社を二度救った、というのは、こういうことである。一つは、人間としても社長候補生としても落伍者になりかかっていた御曹司・野間惟道を「本社社長に推戴(すいたい)できるまでに育てた」こと。二つは、出版不況のなかで、講談社がとにもかくにも「トップ・グループ(売り上げでは学研に、利益では集英社、小学館に抜かれたが)を保持できている基盤をつくった」ことである。


・小学館には「三つの自由」がある、といわれる。発言の自由、冒険の自由、失敗の自由------。社員全員に付与された基本的な権利である。発言しなければいくら考えていても形にならない。冒険しなければ何等新しいものは生まれない。そして失敗しなければ決して反省もない。「三つの自由を思い切り行使せよ。大いに好きなようにやれ。それで失敗したら私が全部尻拭いする」と、相賀社長は社員に常々言っているそうだ。


・神吉はそこで「よし、無名の私は、無名の学者を育てて、有名にしてみせよう。そして私も明日は有名になるんだ」と考えついた。彼はその方法を創作出版と名づけた。編集者が頭をしぼって企画を立て、その企画にふさわしい適切な著者を発見し、原稿の完成まで著者と苦労を共にする。そして、その苦労の成果を宣伝によってその著書にふさわしい読者人口を開発していく・・・・・・という方針である。


・戦後のベビーブームに乗ってきたら今日の小学館はなかったんじゃないかという気はします。やはり競争誌があって、お互いにそこで切磋琢磨していったということが相互にプラスになったと思います

※相賀徹夫社長は、『出版社のトップは何を考えているか』の戸田寛との対談


●書籍『音羽 vs 一ツ橋~巨大出版社の研究』より
月刊「創」編集部
創出版 (1983年1月初版)
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