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戸田 奈津子 氏 書籍『字幕の中に人生』(白水社 刊)より

このページは、書籍『字幕の中に人生』(戸田 奈津子 著、白水社 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・字幕翻訳者が映画の題名をつけているという誤解が多いが、私たちが題名まで考えることはない。それは映画配給会社の宣伝部の仕事で、字幕翻訳者の畑ではないのである。


・日本にはじめて字幕つきの映画が登場したのは昭和六(一九三一)年、ゲーリー・クーパー、マレーネ・デートリッヒ主演の『モロッコ』だった。それまでは弁士のつく無声映画、あるいは場面と場面のあいだに文字で説明が入っていたのに------これがそもそもは「字幕」と呼ばれるものだった


・どの程度の文字を入れるかも問題だった。(中略)とりあえず一秒に三、四文字、一行十三文字というルールをつくった。(中略)いまは縦一行十文字で落ちついている。


・字幕の翻訳料はせりふの多少に関係なく、フィルムの一巻がいくらという単価があり、それを全編で計算することになっている。時間的にはせいぜい一時間四十分と短いのに、三時間の映画もかなわないほどせりふの詰めこまれているウディ・アレンの映画であろうと、せりふは“Me,Tarzan.You,Jane.”(ボク、ターザン。君、ジェーン)だけだったというターザン映画でも、一巻の翻訳料は同じである。


・昭和三十年ごろ、この巻当たりの翻訳料はベテランで五千~六千円程度だったそうだ。一時間四十分前後の映画はだいたい十巻あるので、一本の翻訳料は五万~六万円。新入社員の初任給が一万二千円程度だったときで、その四、五倍が翻訳料の相場だった。


・平均的な日本人は映画館で意識した集中した状態でスクリーンを見ているとき、一秒で三文字から四文字なら無理なく読みとれて、画面にも意識を配る余裕がある。この字幕の「物差し」はこの道の先輩たちが、思考錯誤のすえ算出したもので、だれでも無理なく文字の読みとれるスピードである。


・「作業にかかる前に、何度映画を観るのですか」「ビデオと首っぴきで翻訳するのですか」などとよく聞かれるのだが、実際は「最初」と「中間」と「最後」の三回。翻訳そのものは、たった一度観ただけで、とりかかねばならない。神業のようだが、これは昔から変わらぬプロセスで、すべての字幕翻訳者はそれに慣れてゆくのである。


・私たち字幕翻訳者がいちばん親しく付き合うのは映画配給会社の人々である。そこから注文をもらい、仕事を納める。ひとくちに配給会社といっても、日本にはメジャー系とインディペンデント系があり、映画を輸入し、宣伝し、公開するという作業は同じでも、その性格は大きく異なる。


・字幕を仕事にしたいという若い人が増え、どうしたらこの道に入れるのかという問いをよく受ける。(中略)


「自分は英語に自信あって、いつも字幕を見ているけれど、面白そうだし、あれぐらい私にもできそうだ」という程度の気持ちでは、とてもこの世界、歯が立たない。そういう私自身、最初はまさに同じことを考えていたのだが、実際はそうではないことを身にもって知った一人である。


・字幕はいうに及ばず、翻訳というものに取り組めばすぐにわかることだが、「語学ができる」ということはスタート・ラインで、決め手は日本語である。「外国語に自信がある」だけでは足りない。日本語の力が問われる。しかも言語は限りなく奥が深く、その日々、変化している生きものである。言葉への関心をたえずもちつづけることが大切だ。


・映画の名せりふのなかでも、たぶん一番有名な『カサブランカ』の“Here's looking at you, kid.”(君の瞳に乾杯)は、日本語訳のせりふとしても有名になった。英文は直訳すれば「君を見ながら」であるから、日本語訳のほうがせりふとしてめりはりがある。これなどは「名せりふ」にして「名訳」といってようだろう。


・観客が望み、またなによりも楽しむのは、自分がそのドラマに感情移入して、ドラマにひたりきることである。ケンカの場面の a son of a bitch を「メス犬の息子め!」という聞き慣れない表現に訳して、一瞬なりとも客に「?」というとまどいを与えるか、「このヤロー!」と抵抗のない表現に変えて、ケンカの場面そのもののドラマを楽しんでもらうか。私は十中八、九、後者を選ぶ。


●書籍『字幕の中に人生』より
戸田 奈津子 著
白水社 (1994年5月初版)
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