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櫻井秀勲 氏より (「女性自身」元編集長)

このページは、書籍「戦後名編集者列伝」から、教え学んだこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ転載しています。


・出版社には「新しいビルを新築したところほど危ない」というジンクスが囁かれてきた。(中略)これにはいくつかの理由が考えられる。

その第一は経営者が社業の安定と防御を考えて賃貸業をはじめるため、社員の間に安心感が生まれてしまうこと、

第二は居心地のいい職場に座ると、取材力がてきめんに落ちること、

第三に高層ビルの上から下を眺めるうちに、庶民感覚を忘れ、マスコミが偉いと錯覚していまうことのようだ。


・水に関係する企業は大宣伝を使って伸びていく、というジンクスがある。サントリー、資生堂はいずれも水を商売にしている企業だが、この社の宣伝戦略は常にスバ抜けている。

きわ立ったみごとさはないが、厖大な宣伝費をテレビに投入する大塚製薬、大正製薬、武田薬品なども、水もので大きく伸びた。

そして水に直接関係はないが、“水もの”と呼ばれる出版業界でも、神吉方式は毎年巨額の宣伝費を投じて、カッパ文化と呼ばれる王国を築いていった。


・朝日だけでなく、毎日、読売、産経などの新聞社系の週刊誌で、いまなお扇谷正造の名前だけ伝わっているように、すべての編集者は知ってか知らずか、扇谷方式を模倣しているといっていいだろう。


・ジャンプ王国を築き上げた三つの約束事・・・集英社 長野規

1、友情、努力、勝利を編集方針に捉えたこと
2、漫画家専属制という囲い込み制度を考えついたこと
3、読者アンケートによって、連載続行か打ち切りか決める方針を確立したこと


・戦後文学の基礎をつくった河出書房・坂本一亀


・昭和五十三年、単行本部門の編集者わずか二名で、書店ルートへの参入をスタートした出版社がその翌年、早くも「母原病」で五十万部、十七年後の平成七年には「脳内革命」で四百万部を越えるという快挙を成しとげたか、こういう例は、長い出版史上でも、かつてない出来事だった。出版社名はサンマーク出版、編集者は植木宣隆、現在は同社社長である。


・ベストセラーを出しつづける出版社ほど、読者の求めるものを正しく受けとめているのに対し、これまで絶対安全な堅い本を出し、良書出版社と自他共に許してきたところほど、読者より著者を向いて、わざわざ難解なものを出版してきたからである。


・植木は「地味プラスどかん」と形容する


・草思社 加瀬昌男

加瀬の率いる草思社の図書目録を見ていくと、タイトルに目立った特徴がある。ひらがなが多いことと、用言止めが比較的使われている点だ。


・女性の人生書一本で成功した海竜社 下村のぶ子

昭和五十一年三月にスタートして以来、最初の二年を除いて赤字を出した年が一度もないことだ。これが変動ただならぬこの業界にあって稀有の例で、いかに海竜社の本が女性読者層に深く浸透していったかの証明といっていいだろう。(中略)下村のぶ子は千葉県香取郡多古町の出身である。


・司馬遼太郎「竜馬がゆく」のファンだった下村は、坂本竜馬が日本初の出版社をつくったひそみに倣って、ひそかに海竜社という壮大な社名をつけた。


・海竜社は今年で創立二十八年目に入ったが、編集四人、営業五人、営業五人、経理一人のわずか十人の世帯である。


・昭和四十三年十月、押鐘は入社して三年目にかかったとき、この三笠書房は倒産した。二十七歳だった。債務は三億円。社員は全部で二十七、八人残っていた。
    
      
             
●書籍「戦後名編集者列伝 ~売れる本づくりを実践した鬼才たち~」より
桜井 秀勲 著
¥1,995 (税込)
編書房 (2003年9月初版)
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