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藤田昌司 氏より (書籍「100万部商法」の著者)

このページは、書籍「100万部商法」から、教え学んだこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ転載しています。


・ショウペンハウエルは、「大衆の注意をひきつけ、評判になっている本は、読む必要がない」と言い放ったそうである。


・ベストセラーということばは一八九五年、アメリカに「ブックマン」が創刊されたとき、「求められている本」というリストを揚げ、その後、一九〇七年に「六冊のベストセラー」と改めたのが初めてであり、これをタイムやニューヨーク・タイムズが踏襲したわけで、おおざっぱにいって、「短期間によく売れた本」といった意味である。


・「日本人とユダヤ人」ブームが外務省地下の小さな書店で燃え上がるなどと想像した人もだれもいなかったのだ。


・ミリオンセラー第一号は、終戦直後に出版された「日米会話手帳」であった。廃墟のなかから生まれたのこの本は、あっという間に三百六十万部という記録的なベストセラーになってしまった。当時の日本人の人口は約七千万。つまり、赤ん坊から老人まで含めて、二十人にひとりが、「日米会話手帳」を買ったことになる。


・「英語に強くなる本」は、なぜ、短期間にこれほど爆発的に売れたのだろうか。その秘密は二つある。一つは、本そのものが読者の盲点を衝いたことである。(中略)広告がこれに輪をかけた。
一、むずかしい英語も文法も出てこない。
二、中学二年か三年のやさいい英語を知っていれば誰でも、この本で英語に強くなれる。
三、むかし英語を習ったが、さっぱりモノにならなかった人でも、この本を読めば英語がモノになる。
四、はじめてタテ組で書かれた本、ABCの初心者もたのしく読める。
これが四大特色だと訴え、さらに「この本にはセックス語も山ほど出てきます」とあおった。


・「頭の体操」は、読むこと自体、頭の体操になる、いわば直接的ハウ・ツーものです。(著者とのインタビューで  多湖輝 著)


・しきたりは人間の、相手に対する思いやりの表現であって、形式の躊躇が目的はない


・「日本人とユダヤ人」わずか千五百部からのスタート


・山本書店 山本七平氏が社長兼事務員兼編集者兼営業マン兼受付係


・山本書店はキリスト教関係の出版社で、ベストセラーなどねらったことがない。


・ブームの発火点は、外務省の地下にある小さな書店・紅屋であった。配本された数部がまたたくま間に売れ、注文が殺到した。(中略)外務省から通産省の地下に飛び火して、ここでも売れ出した。そしてやがて丸の内かいわいの貿易商社の近くの書店へと、この本の人気は波紋を広げていった。


・日本人とは違うアメリカ人の考えかたをとらえようとして、はじめ外務省の役人が、そして通産省の担当官が、やがて輸出の衝に当たる商社マンたちが、この本に注目したのである。


・ストックの一千部はまたたく間になくなり、一週間に“異例の増刷”を一千部。ところがこれもあれよあれよといううちになくなり、また二千部増刷、というように、山本七平氏にとって、信じがたい奇跡が起こったのである。かくて、月に五万部を増刷しても注文にまにあわないというブームに発展していった。


・山本氏は、ベストセラーになったことで、むしろ青くなった。小さな出版社にとって、ベストセラーほどこわいものはない。命とりになりかねないからだ。(中略)

ベストセラーといえでもいつか必ず売れ行きがストップするときがくる。そして売れ行きがとまると、不気味なくらい、一冊も売れなくなるのだ。(中略)

山本氏は、なるべくブームに水をかけ、熱をさまそうと懸命になった。そして、角川書店から、文庫に入れさせてほしい、との申し出があると、さっさと出版権を渡してしまった。四十六年九月三十日には、もう角川文庫から出版された。

山本書店のハードカバーが出版されてからわずか一年余で、文庫入りしたわけである。その代わり文庫が出るまでに、ハードカバーの「日本人とユダヤ人」は、一冊も残らずに売り切れた、返品ゼロである。


・26年~30年

光文社から出版された波多野勤子著の「少年期」、安田徳太郎著「人間の歴史」、石井桃子著の「ノンちゃん雲に乗る」などもベストセラーになり、このときから、神吉晴夫がベストセラー・メーカーとして注目されるようになる。
      
     
             
●書籍「100万部商法」より
藤田昌司 著
地産出版(昭和48年11月初版)