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黒岩 比佐子 氏より (書籍「伝書鳩~もうひとつのIT」より)

このページは、書籍「伝書鳩~もうひとつのIT(黒岩 比佐子 著)」から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・写真を運ぶのに使われたという鳩----「伝書鳩」の話だった。当時、「鳩便」と呼ばれていたものである。


・ところで、なぜ鳩は遠く離れた見知らぬ場所から放されても、自分の巣に戻って来ることができるだろうか。(中略)


鳥の渡りを研究しているR・ロビン・ベーカーが書いた『鳥の渡りの謎』(平凡社・一九九四年)によれば、帰巣そのものは、視覚、臭覚、聴覚、太陽の位置、体内時計、地磁気など様々な手がかりを利用して行なわれている。(中略)


鳩舎が見えない場所からでも鳩は帰巣する。この場合、鳩は太陽の位置を手がかりにしていると考えられる。太陽の位置から自分が飛んでいる位置を割り出す「太陽コンパス」が、帰巣には重要な役割を果たすのである。鳩レースでも、晴れの日より曇りの日は帰巣率が悪くなる。

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・日本人が過去に戦争で使用してきた動物と言えば、馬、犬、鳩の三つにほぼ限定されるだろう。


・一八九一(明治二十四)年十月十三日付の「東京日日新聞」が、イギリスの新聞社の伝書鳩の使用法を紹介している。


・日本の陸軍が軍用鳩の実験を始めたことに着目して、鳩通信に関心を持った新聞社が東京朝日新聞社である。(中略)同社は一八九三年一月に鳩による通信の研究を始めている。


・土田氏は軍用鳩調査委員事務所で鳩の訓練を担当した後、一九三九年に読売新聞東京本社に入社した。当時、彼が所属した伝書鳩を扱う部署の正式名称は「編集局機報部鳩室」だった。


・(鳩の)脚に通信管をつけた


・写真筒を背負った伝書鳩


・戦後しばらくの間、新聞社や通信社では、写真の送稿手段として電送と共存して鳩便が利用されていた。


・朝日新聞東京本社では一九六一年四月三十日、同社が最後まで飼っていた約二百羽の優秀な伝書鳩が、街の愛鳩家たちに引き取られ、五月一日をもって通信鳩係が廃止された。


・読売新聞東京本社で鳩が最後通信に使われたのは一九五四年の冬だったが、その後十年、鳩は鳩舎で飼われ続けた。しかし、時代の趨勢にはかなわず、一九六五一月に鳩舎が閉鎖された。


・一羽の鳩に一枚のフィルムを託して、それが無事に届くことを祈りながら、カメラマンが鳩を大空に飛ばしていた頃のことを思うと、一枚の写真の持つ重みもそれだけ軽くなったと感じるのは、私の個人的な感傷だろうか。

             
●書籍「伝書鳩~もうひとつのIT」より
黒岩 比佐子 著
文藝春秋 (2000年12月初版)
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