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小川 菊松 氏より(書籍「日本出版界のあゆみ」より)

このページは、書籍「日本出版界のあゆみ(小川 菊松 著)」から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・新書判は古くからある三六判の形態について名付けられたもので、今日では逆に新書判型のようにひろがっている。この命名は「岩波新書」の登場によってひろく馴染みになったものである。


・戦後の岩波新書は「青版」と呼ばれ、戦前のものは「赤版」として区別されている


・終戦時の二十年から二十一年にかけては、出せば何でも売れた時期であったが、出版の主潮としては戦時中からの延長のもの、主として明治文化にさかのぼったもののアンコール出版が多く、一方には出版企画の空白時代を埋めるためにマルクス主義関係、戦前には「国禁の書」として絶版された左翼関係書が一斉に「放出された」というような勢で出版された。


・三十年上半期に既に種類は八十種以上、内容も基の本まで出る多様さで新書判ラッシュとなった。この新書判ラッシュの原因としてあげられることは、先ず定価が安いこと、工学関係の新書判二五〇円~二六〇円は例外として、平均一二〇円程度で庶民のふところ具合にマッチしていることであった。それに装幀がキレイで内容が概して重くない。ポケットに入れて持ちあることができ、通勤電車の中で読むのにも便利である。要するに値段も内容も手軽で便利なところが受けたわけである。


・ベスト・セラーは一に宣伝、二にも宣伝、五万の線を越えるとあとは読者自体の宣伝で伸びてゆく


・よく「誠文堂新光社って、二つの会社見たいですね」などと聞かれる。事実、私が経営していた誠文堂と、私が社長をしていた株式会社新光社が一つになったので、そのまま名前を重ねたわけである。


・昭和二十年八月十五日、旅行中の房州岩井駅で天皇陛下の「重大発表」を聞いた

             
●書籍「日本出版界のあゆみ」より
小川 菊松 著
誠文堂新光社 (1962年6月初版)
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