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書籍『本の情報事典(紀田 順一郎 監修)』より

このページは、書籍『本の情報事典(紀田 順一郎 監修)』から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・出版の歴史は古い。天正年間(一五七三~九二年)、ころまでは、出版は寺院などを中心に、読書階級のもにすぎなかった。


・戦前の出版点数

   年度      出版点数

1926(昭和元)年   20,212
1927(昭和2)     19,967
1928(昭和3)     19,880
1929(昭和4)     21,111
1930(昭和5)     22,476
1931(昭和6)     23,110
1932(昭和7)     22,104
1933(昭和8)     24,025
1934(昭和9)     26,331
1935(昭和10)    30,347
1936(昭和11)    31,996
1937(昭和12)    30,732
1938(昭和13)    29,466
1939(昭和14)    28,054
1940(昭和15)    26,279
1941(昭和16)    29,204
1942(昭和17)    24,211
1943(昭和18)    17,818
1944(昭和19)     5,438
1945(昭和20)      878


・田中菊雄『現代読書論』などは読書論の古典的名著として知られている。


・「新書」の名は一九三八年(昭和十三年)十一月、「岩波新書」によってはじめて登場した。ドイツの「レクラム」(Reclam)に範をとった「岩波文庫」に対し、新書はイギリスの「ぺリカン・ブックス」(Pelican Books)をモデルにしている。


・日本で最初に出た雑誌は一八六七年(慶応三年)十月に柳原春三が創刊した月刊『西洋雑誌』とされている。


・未来社社長西谷能雄氏が『出版界の虚像と実像』(未来社・一九八一年)で、「本書の原価計算表を発表している。本の原価の公開ははじめてのこと


・著作権者に支払う報酬
わが国の一般の著書では、八%から一二%というところが標準


・注文短冊は1日100万枚も


・書店からの短冊で、全取次会社の本支店に注文される枚数は、総計一日平均約八〇万枚、最高約一〇〇万枚にものぼると推定されている。


・明治の初期は出版社が同時に小売店であった


・書店では本を一冊万引きされると、その原価をとり戻すだけで同類の本四冊を売らなければならないという。


・出版の場合は大手企業が多く、書店へはスーパー系やほかの業種からの進出がみられる、現在、出版活動を行っている企業は一〇〇社を超えるとみられるが、出版社として活躍している企業は、一九六三年(昭和三十八年)に鹿島建設が創立した鹿島出版会などが最も古く、同社は七八年に八重洲ブックセンターを設立して書店に進出した。

同じように、出版と書店を経営して企業では、西武グループ、ダイエーなどもあるが、出版だけでは、松下電器が一九四六年(昭和二十一年)に創立したPHP研究所をはじめ、サントリーのTBSブリタニカ、明治製菓のMEACA出版、日本電気(NEC)、佐川急便の佐川出版、ミサワホーム、日商岩井など、商社、電機、建設、保険、放送、薬品、食品、コンピュータ、広告など各業種が出版活動を行っている。


・書評新聞としては『日本読書新聞』『週間読書人』『図書新聞』の三紙が週刊で出ていたが、最も古い『日本読書新聞』が一九八五年(昭和六十年)十二月で休刊した。


・出版業界は長く低迷状態が続き、取次は危険が伴う新規出版社との取り引きにはなかなか応じない。


・出版社の新聞広告位置

掲載位置を固定するよう希望する出版社が若干ある。
右端を希望する出版社・・・・・岩波書店、平凡社、有斐閣、三省堂。
左端を希望する出版社・・・・・講談社、主婦の友、旺文社、学習研究社。
特殊例として、四番目の新潮社、三番目の角川書店、二番目または五番目を希望する文藝春秋。しかし、原則的には出版物の内容によって、右からカタイものの順に左へと、また、原稿の濃淡なども考慮に入れて各新聞社で位置を決めるのが通例のようである。

このように掲載位置の固定の希望は一面に限らず、二面以降の場合にも二社以上の掲載には同様に扱うことにしているが、なかには全五段などの場合にも面について希望している社がある。例えば岩波書店の二面、講談社の奇数面への希望がそれである。


・出版物の広告は、この四媒体のほかに車内吊ポスター、店頭ポスター、ダイレクト・メールなどに多額の広告費がつかわれている。


・三段八割、六割広告

三段八割も三段六割もその制作には新聞社によって多少異なるが、いくつかの制約がある。八割では、画・図・写真はもちろん、マークも置くことは出来ず、活字とケイだけが許される。活字もその新聞社の明朝とゴシックに限られ、大きさも明朝が七通りとゴシックが五通りと固定されている。紙面と広告の品位を守るための措置である。


・『三段八割秀作集』という限定本も出版されている。


・現在、同図書館(国立国会図書館)へ納入されるルートには、①東販・日販の取次経由、②地方・小出版流通センター経由、③各出版社からの直接納入、④寄贈の四種があり、この内①②③の場合には代償金が支払われる。代償金の額は図書とレコードについては“定価の四割以上六割以下”という基準がある。


・ファクシミリ
時計の振子、電気、複写を結びつけたのはイギリス人で、一応の実験が成功したのは一八四三年代という。その後改良が加えられ、パリとリオン(スペイン)間のファクシミリ電送の成功は一八六〇年代。実用化したのは一九二五年のベル研方式、一九二六年のテレフンケン方式、一九二八年の日本電気NE方式などで、最近のエレクトロニクス技術、通信技術の発達で、いっしょに広がり大衆化した。


・明治の稀本・珍本

永井荷風の発禁本『ふらんす物語』も現在では四〇〇万円以上はするといわれ、とびきりの稀本の一といえようか。


・反町茂雄『日本の古典籍』は必読文献だ。

             
●書籍『本の情報事典』より
紀田 順一郎 監修
出版ニュース社 (1986年12月初版)
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