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実業之日本社、岩野 裕一 氏(「出版学会、編集研究部会」より)

このページは、実業之日本社の岩野裕一氏(「出版学会、編集研究部会」)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


---- 実業之日本社、岩野 裕一 氏の略歴 ----

昭和39年生まれ。学芸出版部、書籍管理部、新企画出版部の部長。23年間、実業之日本社に従事。半分は書籍の編集。もう半分は旅行ガイドブックの編集。

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・「『少女の友』創刊100周年記念号」は6刷3万5千部(実売3万部)¥3,990
『お宝セット』は2刷4200セット(実売3400)¥14,700


・昔の『少女の友』は編集者自らが執筆した


・昭和10年代の第6代執筆、内山基氏が築いた黄金期。


・内山基氏は読者との絆を大切にしていた。実に6千名の読者の顔と名前が一致していた。当時は読者が社に来たら原画などをあげていた。今ではあり得ないこと。


・内山基氏は編集後記で女性の自立をよく書いていた。時代に合って読書の心を捉えた。


・中原淳一氏は元々人形作家で実業之日本社の編集者が、銀座の松屋で絵を見つけた。その絵を見つけたのは、デスク担当で女性の編集者。残念ながら若くして他界してしまった。


・『少女の友』は都市型で、講談社の『少女倶楽部』は地方、農村型の雑誌だった。


・1999年に弥生美術館で「少女の友展」が開かれた。そこで2000筆の復刊希望の著名を集めた。先頭に立ったのは遠藤寛子氏(元愛読者、児童文学作家)と内田静江氏(弥生美術館学芸員)


・『少女の友』創刊100周年記念号は、DTPの技術がなければ出版はあり得なかった。


・遠藤寛子氏と内田静江氏が、
「『少女の友』が創刊100年を迎える。何かできないか?」
と来てくれた。そこで1冊だけの同窓会の位置づけで企画がスタートした。


・当時の読者は現在80~90歳代。
娘世代 50~60歳代。
孫世代 20~30歳代の3世代に渡り受け入れられた。


・巻末に読者の声を掲載。


・投稿欄に書いてあるものに対して更に投稿をもらったりした。


・お宝セットは箱だけで2千円近くかかっている。また、当初直販のみでやっていたが書店からの声を受け書店経由での販売をやった。


・記念号の刊行が東京新聞の一面記事になった。また、その記事を見たNHKの首都圏ネットワークの人が刊行時にニュースにしてくれた。


・読者投稿型のクイズでは2枚の絵葉書をプレゼントしていた。その応募数は8万通。どうやり取りしていたか考えられない。


・少女雑誌で昭和10年代だからこそ起きた社会現象であって少年雑誌では考えられない。


・読者の関係

先輩後輩の関係。よき姉であり、よき教師になれた
パーソナルな関係


・読者に対しての働きかけを怠らないことが大切。今回、編集で気づいた点。


・『少女の友』創刊100周年記念号は、街の書店での売り上げが大きい。つまり、大型店やネット書店ではない。


●実業之日本社 岩野 裕一 氏(「出版学会、編集研究部会」)より
日時:2009年11月11日(水)午後6時30分~8時30分
主催:出版編集研究部会部会長 : 植田康夫氏
演題内容:実業之日本社から『少女の友 創刊100周年記念号 明治・大正・昭和ベストセレクション』(2009年3月)が刊行され、NHKテレビや新聞、雑誌などで紹介され、増刷するほどの売行きを示しました。雑誌「少女の友」は明治41年2月に創刊され、戦後まで48年間にわたって続いた月刊の少女雑誌です。少女たちに面白く有益な読み物を届ける思いが多くの読者に支持されてきた背景と今回の100周年記念号の刊行経緯について、刊行を企画された実業之日本社の岩野裕一さんにお話しを伺います。


※「『少女の友』創刊100周年記念号」
実業之日本社 著 編集
遠藤 寛子 監修
内田 静枝 翻訳
実業之日本社 (2009年3月初版)
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※『少女の友』中原淳一 昭和の付録 お宝セット
中原 蒼二 著, 監修
実業之日本社 (2009年5月初版)
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※関連書
『少女の友』とその時代~編集者の勇気 内山基
遠藤 寛子 著
本の泉社 (2004年1月初版)
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