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塩澤 実信 氏(書籍『ベストセラーの風』より)

このページは、書籍『ベストセラーの風(塩澤 実信 著)』から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・業界に横行する「翻訳ものの児童書は売れない」といった“出版常識”を頭から無視したことだった。
※『ハリー・ポッターと賢者の石』


・養老孟司著の『バカの壁」は意表を衝いた絶妙なタイトルと「『話せばわかる』なんて大うそ!」といった惹句で、読者の眼を惹き、購買意欲をかきたててやまない一冊となった。(中略)

「内容はたしかに自分が話したことです。それを他人の文章化してもらうと、こうなるのかとあらためて思いました。自分の文章ともいえるし、他人の文章のようでもある。これが奇妙な効果を生じているように感じています」
※養老孟司氏


・『頭をよくする本』では、読者に努力を強制するひびきがある。『頭の・・・』とすれば自然によくなるような気がする、といった白熱した論争の末、後者に決定した。
※『頭のよくなる本』


・大前研一の『考える技術』(講談社)、畑村洋太郎『直感でわかる数字』(岩波書店)、溝上憲文『隣りの成果主義』(光文社)、大前研一『50代からの選択』(集英社)が、ベスト五位を占めていた。東京駅前という土地柄が生み出した結果で、この五点のタイトルから炙り出されてくるのは、時代に乗り遅れないための世への処し方、技術、できばえを模索し、身につけようとするサラリーマンの“悲願”が、痛いほど伝わってくる刊行物であった。


・世界の三大ベストセラーは、『聖書』、マルクスの『資本論』、そして、サン=テグジュペリの『星の王子さま』と言われている。『聖書』は、長い歳月を経て築きあげられた天文学的な部数で、この記録は永遠に破られないだろう。『資本論』は、一八六七年第一巻が刊行されて以来、百数十年間に積み上げられた一大ロングセラーになっていて、民族や国家を超え二〇世紀をゆるがした学説だった。『星の王子さま』は、フランスのサン=テグジュペリが、一九三五年から四四年までの間に書いた童話。四七年に刊行され、わずか六〇年足らずで、世界の三大ベストセラーの一角にランク入りしていた。


・『日本国憲法』が70万部売れた(中略)

その本のアッと驚く仕掛けは、一二八ページの中に、二九枚の見開き写真が収録されていることだった。(中略)『日本国憲法』に、スケッチ風の写真を組み合わせ、大胆なビジュアル本にしたのは、当時「写楽」編集部デスクだった島本悠二だった。


・「日経エンターティメント」誌が、“セカチュウ度”なる分析をこころみているが、読者を涙に誘う度数は、次のような条件となっていた。
一、テーマは若い男女の純愛
二、純愛の障害になるものが、女性側の難病(昔は結核、現在は白血病、ガン、精神病など)。
三、構成は女性が亡くなった後の回想型。
四、小道具となるものは、日記、手紙、テープなど。
五、結果は女性が必ず亡くなる。


・文庫本にカラーのカバーを付けたのも、おれのアイデアである。
※角川春樹氏


・ごま書房は、カッパ・ブックスで知られた神吉晴夫の光文社育ちの逸材二人が、ソニー創業の井深大、千葉大学教授多胡輝らの協力でスタートした出版社だった。


・青木新門は、映画と原作の違いに一線を画そうとする気持ちが強く、それで映画に関しての著作権を放棄したのである。
※『納棺夫日記』


・読者カードは、通常五〇〇〇部に対し、一日二通か三通がもどればよしとされている。それが三ヶ月で一五〇〇通にも達したのは、『節約生活のススメ』が具体的で、読む者に共感を与え、実践が可能と考えられたからだろう。


・四六判の上製本では一万部の売り上げだったものが、平易な文章と軽い新書のパッケージに収めたために、大化けするケースが次々に出ているのである。


・岩波のほうは、永遠にして普遍という、長期的アカデミズムの発想


・清張の遅筆ぶりは徹底していた。


・いちばんのロングセラーは『点と線』で、現在までに一〇〇刷り、二九〇万部に達しています。


・小学校卒の学歴で、四〇歳を超えての遅いスタートだったが、作家生活四〇年間に執筆した原稿枚数は十二万枚、作品は約一〇〇〇点だったと、松本清張記念館の藤井康栄館長は推測している。


・昭和二〇年代後半の出版界は、ミステリーに手を染める出版社をまともに評価しない風潮があった。


・「ベストセラー」と言うようになったのは、一九五〇年代からである。それまでは、「当たり本」「好売れ行き書」と呼ばれていた。


・新書には、安くて読みやすい、時宣に適ってためになる情報知識を得ることができるというムードがある。


・テレビの大河ドラマに登場したことで、ベストセラーに大化けした小説に“テレセラー”と名づけたのは、上智大学名誉教授の植田康夫だった。


・本を読まない彼女らに購買してもらう手段として、五万部の初版のうち二万部を、若者層が毎日行くコンビニエンスストアに目立つように置き、それで売り切れたら本屋へ行って注文してもらう形にした。※『DeepLove』yoshi著


・古典的なロングセラーといえるが、『広辞苑』は、岩波書店で刊行される前に、博文館で発行された時代があり、さらにそれ以前に振興出版社岡書院の岡茂雄は、京都帝大授新村出に、刊行の国語辞典を超える新しい辞典の編纂を慫慂したことからスタートした経緯があった。


・三島由紀夫に「どんな本を読んだらいいですか」と質問したところ「本というものは巡り合いだから誰かに教えてもらって読むものではない。でも、一つだけ薦めるとしたら、それは辞書を読むことだ。


●書籍『ベストセラーの風景』より
塩澤 実信 著
展望社 (2009年11月初版)
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