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佐々木 俊尚 氏(書籍『電子書籍の衝撃』より)

このページは、書籍『電子書籍の衝撃(佐々木 俊尚 著)』から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・音楽が歩いてきた道、そしてこれから進んでいこうとしている道をつぶさに見ていくことによって、電子ブックの未来象も逆照射されてきます。音楽の世界では、インターネット配信を中心にした巨大なデジタル生態系(エコシステム)がいまや立ち上がってきています。(中略)

その生態系を完成させるには、いくつかのピースが必要です。

第一に、電子ブックを読むのに適した機器(デバイス)が普及してくること。
第二に、本を購入し、読むための最適化されたブラットフォームが出現してくること。
第三に、有名作家か無名のアマチュアかという属性が剥ぎ取られ、本がフラット化していくこと。
第四に、電子ブックと読者が素晴らしい出会いの機会をもたらす新しいマッチングモデルが構築されてくること。


・アマゾンは紙の本を店頭価格の半値の約一三ドルの卸値で出版社から仕入れていますが、キンドルストアの電子ブックにもこの値段を適用しています。つまりアマゾンはキンドルストアで一冊売るごとに、約三ドルの損を出しているということなのです!

なぜこのような一見バカげていることをアマゾンがやっているののかといえば、それはまさに「電子ブックのプラットフォームを独占支配したい」という戦略が存在するからにほかなりません。


・iPadが有利なこれだけの理由

さて、iPadとキンドルはどちらが勝つのでしょうか。(中略)iPadが優れている点は、以下の三つです。

第一に、汎用機としての魅力。タブレットは、パソコンとケータイに次ぐ三番目のデバイスとして、今後私たちの生活の中に確固とした存在を占めていくのではないかといわれています。(中略)

第二に、iPadはiPhoneをベースにしていること。(中略)iPhoneのアプリケーションがそのまま動きます。これは強烈な強みです。


・iPadが不利な三つの点(中略)

第一に、サイズと重量。バッテリー接続時間などのスペック。(中略)

第二に、バックライト付きの液晶画面であること。(中略)ブックリーダーとしては画面の輝度が高すぎて目が疲れやすいという問題があります。(中略)

第三に、価格。キンドルが二五九ドル(約二万三〇〇〇円)で購入できるの対し、iPadは四九九ドル(約四万五〇〇〇円)とかなりの値段です。


・iTunesによってそうした手間のほとんどは消滅し、いつでもどこでもどんな場面でも、自分が音楽を聴きたいと思った瞬間に手元のデバイスから魔法のように楽曲をひきだすことができるようになりました。これがアンビエント化です。


・キンドルは本のアンビエント性をさらに高めて、電子ブックリーダーだけでなく、パソコンやケータイなどさまざまな機器を活用して同時に読み進められるようねネットワークを構築してしまいました。


・いまアメリカでは、「出版社の中抜き」という事態が進めはじめています。大手出版社から過去のベストセラーの版権を取り上げて、アマゾンと再契約した書き手が現われてきたのです。アメリカでも最も売れっ子のベストセラー作家のひとり、スティーブン・R・コヴィーさんがそうです。


・ロゼッタブックスのように、書き手と電子ブックの間に入って電子ブック化のお手伝いをするディストリビューターは、いまアメリカでいくつも現われています。たとえば、スマッシュワーズという二〇〇八年五月にサービスを開始したばかりの新しいベンチャーも、電子ブックのディストリビューターのひとつです。


・プラットフォームとして市場を支配するためには、以下の三つの要件が必要であると私は考えています。

①多様なコンテンツが安く豊富にそろっていること。
②使い勝手が良いこと。
③アンビエントであること。


・ソニーや松下が失敗した背景には、日本のメーカーが「いいものを作れば売れる」という根拠のない信仰にあいかわらず囚われていて、デバイスのインターフェイスの使い勝手やネットワークに無頓着であることが大きな原因になっていますが、加えてもうひとつの要因も忘れてはなりません。それは、日本の本の流通システムが硬直化してしまっていることです。


・電子ブックが普及して出版社や書き手が直接電子ブックのプラットフォームやディストリビューターとやりとりするようになってしまうと、取次は存在意義をなくしてしまい、書店も潰れてしまいます。


・アマゾンDTPが新風舎のような自費出版ビジネスと決定的に異なるのは、以下の二点です。

①費用を請求されないこと(中略)
②プロの書き手のプラットフォームにもなる(中略)

この二点でわかる通り、アマゾンDTPは自費出版ではありません。
自費出版は、あくまでも「自費」で「出版」すること。(中略)

そこで本書では、このような本の出し方を「セルフパブリッシング」と呼んでいくことにします。


・ベンツを買う人の多くは、クルマとしてのベンツを買い求めているのはなく、社会的ステータスとしてのベンツを求めている。これが記号消費です。(中略)一九九〇年、精神科医の大平健さんが『豊かさの精神病理』(岩波新書)という本で提示した言葉です。※記号消費のこと


・記号消費の終焉へ

要因は複合的です。最大の原因は、「みんなでひとつの感性を共有する」という「マス感性」の記号消費自体が疲労し、行き詰ってしまったことです。


・若い人は活字を読まなくなったのか?(中略)

驚くことに、点数は増えているのにトータルの売上冊数は増えていません。(中略)

本一点あたりの売上は八〇年台と比べると、おおむね五分の二ぐらいに減ってしまっていることになります。八〇年代だったら一万部ぐらい売れた本が、いまでは四〇〇〇部ぐらいしか売れないという計算です。

そもそも若い人は活字離れしていません。それを示す統計がいくつもあります。たとえば文部科学省が二〇〇九年一一月に発表した調査結果。図書館を使う小学生が二〇〇七年度に借りた本の冊数は平均で三五・九冊もあり、これは過去最高でした。一九九五年には一五・一冊しかなかったのが、その後三年おきの調査で二五・八冊、三〇・五冊、三三・〇冊と増えて〇七年には三五冊を超えてしまったのです。

図書館の利用回数も、九五年の三・二回から〇七年には六・七回にまで増えています。

また、全国学校図書館協議会は毎年五月に「五月中に読んだ本の冊数」を調査していますが、高校生が一九七〇年代には平均四・五冊だったのが、二〇〇四年には七・七冊にまで増えています。

一方で、五〇代以上はの年配の世代では、本を読まない人が以前より増えていることが読売新聞などの調査で明らかになっています。この世代はテレビ世代で、本にもともと親しんでいなかったのですから当然といえば当然でしょう。

いずれにせよ。明確に言えるのはこういうことです------いまの若い人たちは、、ものすごい本を読んでいる。

これにインターネット上のブログや掲示板やSNSでの「読む」という行為も含めれば、現在の若者は活字にきわめて親和性の高い世代であるといえます。なにしろネットでは、ユーチューブの動画や音楽配信など一部を除けば、ほとんどが活字メディアです。

これはアメリカの調査ですが、カリフォルニア大学サンディエゴ校のロジャー・ボーンさんとジェームズ・ショートさんという研究者が二〇〇九年暮れに発表した論文『情報の総量は?アメリカの消費者レポート2009年版』によると、一九八〇年から二〇〇八年の間にアメリカ人が読む量は三倍に増えているそうです。


・ケータイ小説の読者は、自分の好きな小説が書籍化されると、ひとりで四冊購入すると言われていました。ケータイ小説サイト最大手の「魔法のiらんど」プロデューサーの遊佐真理さんから聞いた話です。一冊は自分が読むため、二冊目は自分の部屋に飾っておくためのもの、三冊目は保存用で、四冊目は友人に貸すための在庫だそうです。遊佐さんは私にこう話しました。

「彼女たちにとっては、ケータイ小説は、ケータイ電話で気軽に読むコンテンツとして存在しているんです。だから印刷されて書籍になったものは、『読むコンテンツ』というよりは『宝物』的な存在。宝物を購入し、さらにその購買行動によって、自分の好きな作家さんの夢を支えてあげようという気持ちにもつながっているんですよ」(中略)

ケータイ小説の現象を分析してみると、そこには新しい活字文化、新しい文化の潜在的な可能性がたくさん開かれていることに気づかされます。


・本というコンテンツを流通されるプラットフォームが、いまの日本では恐ろしいほどに劣化してしまっているから、本は売れなくなってしまっているのです。

劣化の原因ははっきりしています。

ひとつは、本を雑誌と同じようにマス的なやり方で流通させてしまったこと。

二つ目は、書店が本を出版社から買い取るのではなく、預かる「委託制」というしくみを導入してしまったこと。


・取次というビジネスの機能には、おおむね次の三つがあります。

①本を出版社から書店に運ぶ「モノ」の流通
②本の代金の回収と支払いという「カネ」の流通
③どんな本をどの書店に配本するかという「情報」の流通


・データ配本は、薄く広く、しかも機械的というような配本パターンになることから逃れられません。


・本来、本というのは人によって好みはさまざまで、少部数のものを多様なかたちで読者に送り届けるべき世界です。しかし日本では、これが雑誌中心のマス量産体制に呑み込まれしまったことによって、どこの書店にも似たような本を送り込むことしかできませんでした。

これはかつてのマス消費時代、「みんなと同じ本を読んでいればいいや」という時代にまだなんとか対応できたのですが、いまのようにどんどん好みが細分化していく時代状況になると、もうまったく対応不可能です。

結果として、「良い本となかなか出会えない」という事態を招いてしまいました。


・出版社は返本分の返金を相殺するためだけに、本を紙幣がわりにして刷りまくるという悪循環に陥っていくのです。


・「活字離れ」やインターネットが原因ではありません。本と読者のマッチングモデルが劣化し、読みたい本を見つけることができない本の流通プラットフォームに最大の問題があるのです。

実際、日本よりもずっとインターネットが社会で利用されているアメリカでは、本の売上は増えています。アメリカ小売書店協会(ABA)の統計によると、書店全体の売上は、一九九七年が約一二七億ドルだったのに対し、二〇〇四年には一六八億ドルにまで成長しているのです。ネットによって活字文化が支えられ、以前よりも多くの人々が本を読むようになってきているのです。


・グーグルの和解案を歓迎しているポット出版の沢辺均さんは、ウェブサイトでこう表明しています。

「すべての人が、書籍の書誌情報(タイトル・著者名など)だけでなく、その全文にたいして一定の言葉の存在を検索できることは、その人にとって有用な書籍を『発見』する手だてを格段に増やし、そのことで、社会全体でさまざまな知の共有が前身すると思う」

まったくその通りです。


・自分の書棚が『かつてのベストセラーと、どこかで紹介されていたから買った本ばっかり』っていうのは、ちょっと寂しいよね。それは社会やマスメディアによって作れられた文脈にすぎない
※『本屋はサイコー!』安藤哲也著より


・安藤(※哲也)さんの語録のひとつに、「本には本籍と現住所がある」という有名な言葉があります。ジャンルや書き手の名前といった属性が「本籍」だとすれば、その本がどのような文脈で読まれるのかというのは「現住所」。

だから彼は、当時大ベストセラーになっていた岩波新書の『大往生』(永六輔著)を新書の棚という本籍地に置くだけでなく、『壮快』などの健康雑誌の横にも並べました。これが「現住所」です。『壮快』を買いに来るような中高年女性は、岩波新書の棚にはなかなか近づいてくれない。でも『大往生』には興味を持つはずだから、『壮快』の横に置いておけば買ってくれるだろう、という判断です。

こうした手法で、往来堂書店は小さな町の書店にもかかわらず、熱狂的なファンを集めたのでした。
(※参考:往来堂書店のウェブサイトはこちら


・本というのは本来、少部数で多様性のある世界であって、ベストセラー作家の本ばかりが売れてしまうという状況はすごく良くないのです。健全な出版文化とは、マニアックな本、特定分野に特化した本、全員に読まれる必要はないけれどもある層の人たちにはちゃんと読まれたい本。そういう本がきちんと読者のもとに送り届けられるような構造をいいます。ベストセラー優位の構造だけではダメなのです。


・キンドルストアと検索エンジンだけでは、良い本を見つけることができない


・マスメディアに基づいた情報流路から、ソーシャルメディアが生み出すマイクロインフルエンサーへ(中略)

一般会員の中には、DVDのタイトルを軸として映画を鑑賞するのではなく、レビュアーを軸として映画を鑑賞するようなやり方が広まりつつあります。つまり自分と同じ好みのレビュアーを見つけ、そのレビュアーが観て高く評価した映画を順に追っかけで観ていくというような楽しみ方が生まれてきているのです。


・純愛がないからこそ、純愛を求めているのです。
「純愛があれば、この生活もきっと明るく変わるのに」。
そういう願いがケータイ小説の純愛にはこめられているのです。
※「魔法のiらんど」プロデューサー遊佐真理氏


・私は年に数百冊も本を購入し、たぶん一〇〇冊以上はちゃんと読んでいる活字中毒者です。


・電子ブックの出現は、出版文化の破壊ではない


●書籍『電子書籍の衝撃』より
佐々木 俊尚 著
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