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鈴木 敏夫 氏 書籍『江戸の本屋〈上〉』より

このページは、書籍『江戸の本屋〈上〉』(鈴木 敏夫 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・仏書の類が盛んに寺院で出版されている


・川瀬博士は「寺院版が出版書肆の発達を誘導しつつ、遂に其の位置を譲るに至つた過程が察せられる」


・川瀬一馬博士の書誌学会


・○豆本 小本よりさらにぐっと小型の本のこと。「芥子本(けしぼん)」「袖珍本(しゅうちんぼん)」「巾箱本(きんそうぼん)」などともいう。山岸徳平博士は豆本の限界は横六センチ、縦九センチていどまでで、それ以上は小本すなわち小型本と呼ぶべきだろうと述べられている。


・江戸時代の書肆を調べるとき、最も有力な参考になる文献は、二十数年前までは、上里春生『江戸書籍商史』、蒔田稲城『京阪書籍商史』の二冊と、(中略)井上和雄編『慶長以来書賈集覧』の三冊ぐらいなものであった。とくに『慶長以来書賈集覧』は江戸時代の本屋一一四〇軒について詳細に述べた貴重なものであった。


・大阪出版界の話をするのに、秋田屋と河内屋の二大グループがあり、この二系統を継ぐ出版社が昭和戦前ぐらいまで存続していたことを逸するわけにはゆかない。秋田屋は、(中略)おそらく大阪での最古最大の版元で、初代秋田屋市兵衛は、本姓を大野木といい、大阪きっての富豪でもあった。


・武士である以上、読まねばならない。武士も依然として版元にとっては大事なお得意様だったのである。そのうえにさらに町人階級という厖大な新興読者層が加わった。上方中心の出版文化は、文化・文政ごろには完全に江戸中心に移行するが、元禄期が“出版革命”時代であったことは間違えない。


●書籍『江戸の本屋〈上〉』より
鈴木 敏夫 著
中央公論社 (1980年2月初版)
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