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松井 久子 氏 書籍『松井久子の生きる力~ソリストの思考術』より

このページは、書籍『松井久子の生きる力~ソリストの思考術』(松井 久子 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・ソリストとは------時流や流行にとらわれず、自分の信じる道を進み、一つのスタイルを築き上げた人。信念ある行動でまわりの人を巻き込み、一つのムーブメントをつくり出した人。


・松井久子の映画づくりは、製作資金を集めるのも、シナリオを用意するのも、すべてゼロからのスタートである。企画もお金も用意された「商品」ではなく、一つのテーマを掘り下げ、自分が納得できる形で表現する「作品」をつくりたい。


・松井久子の稀有な才能の一つが「巻き込む力」であり、その象徴が、『レオニー』の完成披露試写会に集まった、映画づくりを支援する女性たちである。『ユキエ』『折り梅』の自主上映会は、彼女たちの存在がなければ大きく広がらなかった。


・時代が変わっても、私たち女性の人生は、夫のせい、親のせい、子どものせい、社会のせいと、ともすればわが身の不幸を、自分以外の者にせいにしがちである。しかしレオニーは、見舞われた不幸を嘆くよりも、「運命を引き受け」、「人のせいにしない人生」を生きた女性である。


・人生は、たった一度きりである。死ぬときになって後悔はしたくない。ならば、他人から何と言われようと、自分の選択によって、潔く、自らの人生を生きたほうがいい。


・誰でも、長い人生のうちには数多くの不幸な出来事に遭遇するが、見舞われた不幸をただ嘆いて、犠牲者として生きるのはなく、そんなときこそ顔を上げて、前を向いて生きていきたい。

それが私のこれまでの人生を振り返っての答えであり、映画に込めたメッセージだった。


・私がつくった三本の映画は、いずれも「家族」をテーマにしている。『ユキエ』の夫婦、『折り梅』の嫁姑、そして『レオニー』の母の子------。


・「家の中で母親一人の手で育てられるよりも、生まれたときから保育園という社会と接することができる、あなたは幸せ」

それが育児に対する、私の基本的な考え方だ。


・親は、わが子の長所よりも欠点のほうが気になるあまり、励ましや、叱咤のつもりでかけた言葉が、しばしば、逆に非難の刃となって、子どもの心に突き刺さってしまう。


・雑誌のライターの仕事は、自分がどれだけ思いを込めて書いた記事でも、「読まれては捨てられる」宿命にあるゆえに、虚しさのようなもにつきまとわれていた。自分はいつも外側にいる野次馬的な存在で、書いたものは消費され、読み捨てられていくだけ。


・脚本を書く上での決まり事や作法は、勉強すればすぐにでも覚えられるし、誰にでもできる。求められるのはそんなことではない。書き手の人間を見る目、社会と時代を見る目が大事なのだと思っている。それは学校やシナリオ教室で教えてもらえるものではなく、自分の生きている人生の中で学ぶしかないのである。


・『ユキエ』のときは通訳として、『レオニー』のときはプロデューサーとして、映画づくりの仕事を一緒にできるほどに成長し、いまは、子どもというよりも「パートナー」的な存在になっている、息子の勇気。


・私は、ドラマをつくるときの基本姿勢として、テーマの「普遍性」が、まずは大事との考えを持っている。そして次に重要なのが「時代性」だ。


・「君の図々しさにはほんとに呆れるね。あれだけの大物が書くわけがないよ」

私の考えを知った誰もが言ったが、そんなものは凝り固まった既成概念に過ぎない。この世界では、多くの人が自分の身の丈と相手それとを比較して、動く前に結論を出してしまう。


・監督には、クリエイティブな作業の前に、もっと大事な仕事があったのだ。それはほかでもない、「人身掌握術」であり、「自己演出力」であり、「政治力」である。人の上に立つ者なら、あらかじめマスターしておかねばならない、リーダーの条件。


・現場での俳優と監督との関係は、常に斬るか、斬られるかの「真剣勝負」


・たどり着いたのは、「あるがままを受け止める」とう、『折り梅』に込めたメッセージだった。


・自分の親が認知証との診断を受けたときは、患者本人の気持ちより先に「困った」「大変だ」と、思いは介護する側の困難のほうに行ってしまう。私たちは、人生の最後のステージに、どんな病気で死んでいくかを選べるわけではない。


・既成概念にとらわれず、社会的な重い役割からも自由な、そして「本来こうあるべき」と思ったことに対して、欲得抜きで行動につなげることができるのは、やはり女性なのだった。


・出資をされる際、M氏が私に示された条件はたった一つ。それは、「できる限り自分の名前は伏せてほしい」ということだった。

バブルのころ、巨万の富を得た人が、「金はあるけど、名誉がほしい」と映画に出資する見返りとして、必ず要望するのが「製作総指揮」という肩書きだった。


・最終的に、M氏の出資額は十二億円にまで膨れ上がることになったのである。


・「この人に協力してやろう。この人を助けてあげたい」と思ってもらおう、誠実な仕事をしてもらうには、まず、自分が先に「信頼」を示さなければならず、それは常に、大変勇気の要ることだった。


・自分に嘘をつかない。物欲、金銭欲、名誉欲を持たない。経済的に不安定でも自由を選択する。そして、常に挑戦する精神を持ち続ける。そんな生き方から紡ぐ言葉が、いつしか自分の想像を超えた「巻き込む力」を持つようになり、それが多くの人の協力、共感につながっていったのはないだろうか。


・「そんな企画、当たるわけがない」とか、「ハリウッドと合作?どうしてそんなことを、あなたができると思うの?」(中略)


なぜできたのか?それは、私が映画界の村社会にいなかったからではないか。(中略)


アメリカ人のプロデューサーの一人は、こんなふうに答えていた。
「理由は簡単だよ。ヒサコは日本を背負っていなかった。これまでに日本の映画人は、皆、日の丸フラッグを背負ってハリウッドにやって来た。ヒサコは僕たちの前で、いつもヒサコ自身だった。だから彼女は、われわれと一緒に仕事ができたんだ」


・「鎧を脱いで、既成概念を捨てて、女たちの輪の中に入っていらっしゃい」と。なぜなら、男たちがもっと変わらなければ、この国はよくならないからだ。


・自分がやれることはすべてやったと思えなければ、前に進むことができない。いつもの私の流儀だった。


・「自己嫌悪」などというものは、「自己愛」と「自己憐憫」の裏返しで、自分の心の傷をなめているだけ、と分かっているから、一刻も早くそんなところから抜け出すことにしている


・他人と自分を比較しない。
社会の常識や、既成概念にとらわれない。
自己嫌悪に陥りそうになったら、ダメな自分を許してやる。
そして、時を待つ。


●書籍『松井久子の生きる力~ソリストの思考術』より
松井 久子 著
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