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渡辺 淳一 氏 書籍『創作の現場から』より

このページは、書籍『創作の現場から』(渡辺 淳一 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・書く以上は自分の心のなかにある何を伝えたいのか、そこをしっかりととらえておくことが、小説を書く原点であり、第一歩だと思います。


・小説を初めて書く人が注意しなければならない点に、とかく事件を追いすぎる傾向があることです。(中略)事件はあくまで人間を書くための、あるいは読者を引っ張っていくための道具立てにすぎないということです。


・人間を書くということは、やはり人間が好きで、人間に愛着を抱いていることが、基本になければなりません。頭の知識ではなく、肌で人間を知り感じること、これが広義の意味での取材の根本だと思います。


・真夏に真冬の物語を書くと、情景描写などのリアリティが損われることになりかねません。(中略)時間を動かす場合には、やはり、主人公の成長過程を追うようなかたちで、前に向かって動いていくのが自然でベストです。


・読者にとっては一ページに何度も出てくる名前ですから、登場人物の字面と発音はかなり作品のイメージをつくっていくうえに、重要な働きをします。男の姓についていえば、主人公の名はあまり突飛ではいけないが、やや珍しい程度がいい。


・「私」という主人公でいくと決めたら、最後まで「私」で通すべきで、それが途中で突然、次郎や三郎という視点に変えては小説の基本的な構成が崩れてしまいます。


・いい文章とは、まずわかりやすいこと文章です。それも単にわかりやすいというだけでなく、それを読むことによって一段と周囲の情景が見えてくれる、あるいは主人公のキャラクターがわかってくることで、このわかるということが、いい文章の第一条件だと思います。


・「とても」とか「すごく」という副詞を使うと意味が強まると思っている人がいるようですが、副詞の多様は逆に意味を弱めてしまう。しかも文章の張りが失われリズムが崩れてきます。また、形容詞を安易に使うのも関心しません。たとえば「美しい顔」という言葉は何の表現にもなっていない。


・よく新聞に出る自殺記事などについて、借金があって日ごろから悩んでいたとか、家庭内に不和があって、などともっともらしい理由が出ていますが、それらがすべて後から他人が考えた理由づけで、少なくとも作家を目指すからには、そういう類型ではなく、その奥にもう少しなにかがあるのではないか。たとえば死ぬ気なぞまったくなかったのに電車がホームに近づいてきたときにふっと引き込まれたくなっただけではないかといった、一段奥にある真実みたいなものを探ろう、という気持は、もち続けたいものです。


・作家である以上はつねに好奇心をもって、人間とは何かと考える態度が必要で、それなくして当たりさわりのない人物だけを書いているのでは、魅力的な小説は生まれてきません。


・作家と編集者はある程度年齢差があったほうがいいようで、一般には作家が編集者より十歳から一廻りくらい上とうのが一番いいかもしれません。概して作家の年齢が上の場合はともかく、下の場合は作家も編集者もともにやりにくいことが多いのかもしれません。


・「あれこれ、贅沢をいっているときではありませんよ。君のものを発表してくれるところなら、喜んで受けなさい。ああいう雑誌は広告が大きくて、君の名前も大きく出る。全国紙にあれだけ出そうと思ったら、いくらかかるかわかるかね。まず書いて名を知ってもらって、それから書きたいものがあれば、自由に書けばいいのです。あれこれ贅沢いっているうちに、君クラスの新人なぞ、すぐに消えて忘れられてしまいますよ」


・手紙一通の背景には、その何百倍もの読者が潜んでいると思ってすべて目を通しますが、そうした手紙で読者の生の声が聞けるというのは、たいへん嬉しいことです。


・一般に講演の場合、わたしが注意していることは一番後列の人が目を輝かして聴いてくれるか否かで、したがって話すときには後ろのほうの人にポイントを合わせることにしています。その人たちが熱心に聴いてくれればその講演は成功したといえると思います。


・テレビは、どんな人をも日常性のなかに引き込んでしまう力をもっていますから、小説で非日常な世界を描いている作家がテレビに出ることによって、日常に引きずり下ろされてしまう。タレントであればそれもいいかもしれませんが、作家はそのあたりで一線を画すほうが無難かもしれません。


・人類が長年、積み重ねてきたものは、間違いなく正しく美しいことで、それが普遍性というものだと思います。要するに、人体という解剖学的な要素が変わらないかぎり、美や感動の基準も変るものではない。


・医学からの脱皮(中略)

渡辺淳一は、医科出身で医学ものを書ける作家、として認められようになりつつあったのですが、そのうち、そういうレッテルを貼られることが苦痛になってきました。自分が体験した強さの場だけで書いていることが、なにか体験に甘えているような、窮屈な気がして、このままいくと題材主義におちいって、下手をすると一種の内幕ものになってしまうのではないか、という不安もありました。


では、いったい自分は何が書きたいのだろうか、本当にいちばん好きなのは何なのだろう、と自分に問いつめてみると、「異性・女」ということに気がついたのです。


・伝記小説を書くときには、自分と何かしら強くつながる面があり、かつ圧倒的に強く惹かれるものをもっている人物しか書かない。この原点を外して伝記を書くと、ただの解説か評論をしているだけになってしまいます。


・小説と映像の大きな相違点の一つは、まず心理描写だと思います。小説は心理描写をいくらでも書き込める。いいかえると、心理描写は小説というメディアにとって得意な分野で、これを映像で正確に再現するのは非常に難しい。


たとえば、じっと一点を見つめたまま、動かない人がいたとして、この人はいまなにを考えなにを悩みなにを憂えているのかということを、映像ではなかなかうまく表現できないわけです。


●書籍『創作の現場から』より
渡辺 淳一 著
集英社 (1994年2月初版)
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