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酒井 邦嘉 氏 書籍『脳を創る読書』より

このページは、書籍『脳を創る読書』(酒井 邦嘉 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・入力の情報量

活字<音声<映像(中略)

脳に入力される情報量は、音声より活字のほうが少ないのである。なぜなら、音声で聞いた場合は、文字だけでは区別つかないニュアンスの違いなどが朗読した人によって適切に判断され、イントネーション(抑揚)や「間」などを含めた音声表現として発話されるからだ。(中略)


音声と映像については、音声だけの場合より、それに少しでも視覚情報を加えた映像のほうが情報が多いのは明らかだ。


・「読む」よいうことは、単に視覚的にそれを脳に入力するというのではなく、足りない情報を想像力で補い、曖昧なところを解決しながら「自分の言葉」に置き換えていくプロセスなのだ。それは、人間だけに与えられた驚くべき脳の能力に支えられている。


・「みにくいあひるの子」(中略)

「『みにくあひるの』子」ではなく「みにくい『あひるの子』」である


・Japanese history teacher(中略)

「日本人の、歴史の先生」のいう意味になる。一方(中略)「日本史の先生」


・「月の錯覚」という現象である。月や太陽は、空高く浮いているときよりも、地平線や水平線近くにあるほうが大きく見える。実際の大きさは変わらないので、これは心理的に生じる錯覚の一例なのだ。


・一般に「左脳は論理、右脳は感性」などと言われるが、そもそも論理や感性の「座」が脳のどこにあるのか未だわかっていないのだから、脳の左右差に関するほとんどの議論は科学的な裏付けがない。唯一はっきりしているのは左右差は、言語機能くらいのものである。


・脳はなぜ行間を読むことができるのか

人間はいつも外界を受容しながら脳の中にモデルを作り、それを外界の情報で確認しながら次の展開を先読みを続けている。だから、出来事だけが書かれていて主人公の心情については書かれていない場面でも、「主人公はきっとこう思っているに違いない」というモデルを脳の中に作り、「きっと話はこう展開していくだろう」・・・などと予測しながら読んでいるわけだ。


・言語は音声が先で、後から文字が生まれた


・読書量が多ければ多いほど、言語能力は鍛えられる


・映像は情報が多い分、想像力の余地を与えない。想像力で補うべき情報は欠落したままなので、知識の応用も利かない。そのときはわかったつもりになるのだが、想像力で補うことが必要とされないものにばかり接していると、結局、想像力が身につかないことになる。紙の本では、どうしても足らない情報を想像力で補うことによって、その人に合った、自然で個性的な技が磨かれたのだ。電子書籍などの文明の利器は、残念ながらその地道なプロセスの代わりはしてくれない。


・女性は共感の能力の分だけ、行間を読むような想像力が優れていることになる。一方、男性は、論理的な理解力に優れていると言えよう。


・実際に声に出して音読してみると、自分で意味がわかって読んでいるかがよりはっきりする。他人の音読の仕方を聞いてみると、想像力があるかどうかがわかるものである。


・境界線はどこか?-第一問


・PDA(携帯情報端末)を使っていた頃、初めて電子化されたアガサ・クリスティーの作品を読んだことがある。英語辞典とリンクされて、単語をすぐに調べられる点は便利だったが、複数ある意味の候補から適切なことを見つけるためには、本文と辞書の間を行きつ戻りつしなくてはならないので、両方を並べて見られないのは、かえって不便であった。


また、原文にあるインデント(改行の字下げ処理)がすべて削除されたレイアウトには、最後まで違和感が残った。本来あるべきインデントがなくなると、前の文との間にあった「ため」がなくなってしまう。(中略)一文にインデントがないと、つながっているように読んでしまい、話の流れが変わることに気づかない。


・改行も大事な情報なのに、電子化される時に改行が省かれ、次の行とつながってしまうことが起こる。


・紙の本には独自の楽しみがある(中略)

本は、愛着を持って何度も繰り返し読めるという楽しみだけでなく、所有するだけの「積ん読」の楽しみもある。(中略)一方、電子書籍には所有する楽しみがほとんどない。場所をとらないのはいいが、存在感がきわめて希薄だ。


・「電子化」で脳が進化することなど、ありえない(中略)

本やラジオなど、映像に頼らないメディアは、21世紀のこれからも人間にとって必要であり続けるだろう。その理由は、(中略)それらが想像力や思考力を鍛える有効な手段だからである。


・紙の本と電子書籍のよさをそれぞれ享受すべき(中略)

多読用に電子書籍、精読用に紙の本という使い分けも、理にかなっている。紙の本の長所は深い読み方がしやすいことにあるからだ。


・紙の本にはどんな強みがあるか

読んだことを記憶に定着させたいなら、紙の本に書き込みやマーキング(傍線を引く、レや◎などの印をつける、ページの隅を折る、付箋紙をつけるなど)などの手がかりを豊富に作っておくことだ。(中略)


脳には、そういう連鎖的な記憶の仕組みがある。だから、記憶を呼び出す手がかりは、できるだけたくさん残しておくとよい。


・古本で他の人のマーキングがついていると、読みづらいことがある。そもそも自分の主観に基づいてマーキングするのだから、元の持ち主と一致するとは限らない。


・電子書籍は注意を向けにくく、量的な手がかりも希薄である。電子教科書にマーキングを試みたとしても、紙の教科書に比べて記憶に残す手がかりが少ないのは疑いようのない事実である。そこで、電子教科書では、記憶に残すために、特に入力を制限して繰り返しに徹することが大事なのだ。


・宿題でもレポートでも、自分で苦労して考えるからこそ意味があるのに、今は考える前に調べ、見つからなければ質問サイトに投稿する時代なのだ。答に出会った時点で、一切考えることをやめてしまう。それは、人間であることを自ら否定しているようなものだ。人間が作ったものによって人間が堕落するのを見るのは、耐えがたい。


・自分で考えて書き、書いて考える------そうした時間がないと、知識は自分のものにならない。あえて便利な手段に頼らなければ、効率が犠牲になる代わりに、考える時間と考える余裕をもたらしてくれる。電子化が悪いのではない。効率のみを追求する使い方が悪いだけだ。


●書籍『脳を創る読書』より
酒井 邦嘉 著
実業之日本社 (2011年12月初版)
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