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西村 繁男 氏 書籍「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」(飛鳥新社 刊)より

このページは、書籍「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」(西村 繁男 著、飛鳥新社 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・『少年ブック』以外では、漫画の中で巨人軍選手を実名で登場させることまかりならぬ、という独占契約を巨人軍と取り交わし、その執筆をちばてつやに依頼したのである。


・通い始めて一年近くたっただろうか。こちらの執筆依頼に対するちばの断りの口調も、しだいにトーンダウンしてきた。曖昧にうなずかせたわたしは、次号予告に新連載決定の告知を載せ、それを突きつけて懇願し、待望のちばてつやによる『少年ジャイアンツ』の連載にこぎつけたのだった。


・他の週刊誌が、特集やスポーツ記事に四分の一ぐらい割いているページも、『少年ジャンプ』は漫画に使う。あらゆる情報が漫画で表現できる、これが長野の提案した新雑誌のスタイルであった。


・漫画家の原稿料は平均四千円が相場で、五千円、六千円クラスがごろごろしていた。人気漫画家になれば一万円は常識で、二万円を超す人も少なくはない。


・雑誌が全売上の八割を占める集英社では、発売直後の出足を知るために、三日目調査、五日目調査を行っていた。都内の十五軒の書店に依頼しての調査なので、これから全国の販売状況を推定するのは危険だが、過去の調査実績とにらみ合わせれば、誤差数パーセントぶくみの推定は可能ではあった。


・印刷会社にしても(中略)隔週、月二回は変則的で、仕事としては受けたくないのが本音でようであった。


・本宮(※ひと志)の読切二作品は、自分の体験と見聞の範囲の小品だったのに比べ、むろん連載を意識したのだろうが、わずか三回のネームの展開で、主人公の成長があり、その成長ぶりが脇役のさりげないセリフによって語られ、それぞれのセリフが実に効果的に配置されていた。(中略)


まちがえなく本宮は、異常な成長をとげる漫画家である。わたしは少なくともその片鱗を、『男一匹ガキ大将』三回分のネームで見たと確信した。


・『男一匹ガキ大将』の熱烈な支持者は、一見『少年ジャンプ』の狙った小中学生とはちがう層に、じわじわと広がっていった。当時ブルーカラーと呼ばれた中卒、高卒の工員や建築現場で働く作業員、ダンプの運転手、レストランや食堂に働く少年、バーテンやウェイターなど、どちらかと言えば肉体労働であり下積みの仕事に従事する人間たちだった。(中略)


また、この漫画は、それとはまるで別の層からも支持されていた。『少年ジャンプ』が創刊された昭和四十三年には、五月に日大全共闘、七月には東大全共闘が結成され、この年には全国で百十六校の大学で学園紛争の嵐が吹き荒れ、半数以上の大学が紛争のまま年を越していた。(中略)


『男一匹ガキ大将』のファンが、全共闘のメンバーにかなりいたと聞いた。


・「時間とお金をかけて良い仕事ができるのは、当たり前じゃないか。いかに時間とお金をかけずに良い仕事をするかが、プロと言うものだろう」長野が好んで使うロジックのひとつである。


・担当編集者にとっても、自分がデビューにかかわった作家や漫画家が、評価され成長していくのは喜びであった。人気漫画家になれば、幾つかの出版社に執筆するのは、ごく自然なことであった。むろん例外がある。


・「専属契約制度。こいつを、今後の『少年ジャンプ』の雑誌運営に取り入れよう。まず本宮ひろ志をテストケースと考えて、契約交渉を進めてくれ。いいな、西村くん」

長野命令に、わたしは声も出なかった。(中略)

一、(中略)『少年ジャンプ』以外の雑誌に執筆いたしません。

一、(中略)本宮ひろ志に対し、契約量として原稿料とは別途に、年額○○○○円(税込み)を支払います。

一、(中略)契約期間中、『少年ジャンプ』以外の雑誌と契約期間後の執筆交渉をすることができません。(中略)

専属契約書の骨子は、右の三項に要約できるだろう。


●書籍「さらばわが青春の『少年ジャンプ』」より
西村 繁男 著
飛鳥新社 (1994年5月初版)
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