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吉村 千穎 氏 書籍『終りよりはじまるごとし~1967~1971 編集私記』(、めるくまーる 刊)より

このページは、書籍『終りよりはじまるごとし~1967~1971 編集私記』(吉村 千穎 著、めるくまーる 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・『新潮』編集部にその人ありといわれ、とりわけ若い文学青年たちからは半ば怖れられていた編集者・菅原國隆氏


・斎藤十一は、戦前から新潮社にあって、企画立案と書き手の発掘育成に大きな能力を発揮、同社の屋台骨を支えてきたともいうべき天才的編集者で、『週刊新潮』と『フォーカス』を創刊した人である。とくに同社の全雑誌部門を仕切っていた


・私は文庫の仕事に慊(あきた)ちさなを覚え始めた。理由は極めて単純である。まず第一に文庫は元になる書籍(親本)があり、その親本を原則としてそのまま文庫版という規格サイズに移すだけの仕事で、オリジナルティーがないと実感するようになったのだ。


・現役作家のみならず、著作権を継承した遺族にとっても、文庫入りするのはその作品が普遍的な価値を認められたことを意味し、その喜びは勿論、経済的なメリットも大きかった


・今では当たり前になった文庫本のカバーもそれまで特別な例を除いて掛かっていなかった(中略)


昭和四十五~六年頃から、即ち講談社が文庫市場に参入の動きをみせはじめた頃から、ぼつぼつ文庫本にもカラフルなカバーをかけたものが見受けられるようになってくる。


カバーがかかると当然、本の背の書名や著者名が大きく目立つようになるし、センスがよくてインパクトのある装画がこれまでの文庫本のイメージを徐々に変え、結果として読者層を拡げるようになっていった。


・著者が自分の著作に好意的な読者を歓迎するのと同じように、自分が担当して造った本に好意を示してくれる者を受け容れるのは編集者の性といってもいい


・先輩編集者の中には、「君がこの書き手にそんなに興味があるのなら、一度引き合わせよう」とか「次の仕事を手伝って貰おうか」とまで云ってくれる人もいて、後の担当を譲ってくれたケースさえあった。


・新潮社定例に人事異動が少なく、書き手と担当編集者の結び付きが長く強かったため特別な事情がなければ、その担当が変わることは稀だった。


・今の新宿のはずれに生き残っている厚生年金会館の小暗い裏手に〈英〉という一軒の呑み屋があり、文芸関係の書き手や編集者が出入りしていた。


・当時、新潮社ではふつう単行本の編集実務に着手して発売するまでに概ね四カ月をかけていた


・大田区馬込、旧荏原郡馬込といえば、大正末から昭和の初めにかけて、多くの文学者が住んだことで知られる。尾崎士郎と、一時その妻だった宇野千代、室生犀星、萩原朔太郎、広津和郎、三好達治、北原白秋、川端康成、立原道造・・・・・・など


●書籍『終りよりはじまるごとし~1967~1971 編集私記』より
吉村 千穎 (よしむら ちかい) 著
めるくまーる (2009年5月初版)
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