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小菅 もと子 氏 書籍『忘れても、しあわせ』(日本評論社 刊)より

このページは、書籍『忘れても、しあわせ』(小菅 もと子 著、日本評論社 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・義母は、自分の息子に怒られるのは、きらわれているからだと解釈していたのだ。義母の想いは、一三歳までさかのぼり、そのときの感情がよみがえっているのだと感じた。血のつながった親子の愛でさえ疑っているのである。なんということか。愕然とした。愛してほしい人、甘えたかった人に十分に愛されずに、きらわれているから養女に出されたと、一三歳の少女は思っていたのだ。そして、七八歳の今でもそう思っているのだ。


・三〇にして立つ。四〇にして迷わずなどというように、大人になり、歳を重ねると、ますます分別も理性もそなわり、人生が充実していくものだと私は思っていた。しかし、本当は違う。大人だってひとりの人間、悲しいときだってある。親だってひとりの人間、悲しいときだってある。


・「そうだ、治そうと思うのではなく、今できること、感じることをそのまま私が受けとめてやればよいのだ」。そして、その感性を一日でも長く維持できたらいいのではないか、と感じた。


・全部まるごと、ありのままの自分を受け止めてくれる愛情がほしかったのだ。


・ひとりの時が多ければ多いほど、そして人とのかかわりあいが少なければ少ないほど、痴呆は進むのではないだろうか。義母を見ているとそんなふうに思える。


・義母が不幸探しの名人であれば、私は、しあわせ探しの名人になればいいのだ。(中略)義母のためのしあわせ探しが、私自身のしあわせ探しでもあったのだ。


・無事にすごせる平凡な毎日が、一番しあわせなのだと、身をもって感じることができたのです。


●書籍『忘れても、しあわせ』より
小菅 もと子 著
日本評論社 (1998年4月初版)
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