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五木 寛之 氏 書籍『人生の目的』(幻冬舎 刊)より

このページは、書籍『人生の目的』(五木 寛之 著、幻冬舎 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・「杞憂」(中略)

キユウとは、むかし中国の杞の国の人が、天が崩れ落ちるのを心配したという話から出た言葉である。取り越し苦労とか、無用の心配とかいった意味で使われることが多い。


・この世界に冠たる長寿大国が同時に世界有数の自殺大国である


・人生に目的はない、と割り切っても、一方で、目的のない人生はいやだ、となぜか思ってしまうのだ。目的なき人生は不安でもあるし、頼りもなく、ふらふらした感じがする。


・<生>には、生まれくること、そして生きてゆくこと、の二つの面がある。


・人間というのは、本当は何をしでかすかわからないじつに不安定な存在なんだぞ、と彼は言っているのだ。良い人、悪い人、などという区別は無意味なことだ。どんな人間でも、いつ、なんどき恐ろしい極悪人になるかもしれない。虫けら一匹さえ殺さずにきた者が、突然、殺人者に変わることだってあるのだ。悪心を抱きながら、なぜか人を助けてばかりいて、世間からりっぱな人だと感心されたりもする。


・生きるとは、<運命>と<宿命>の狭間に身をおきつつ、それを素直な気持ちで受容することである。耐えて、投げださずに、生きつづける。それしかない。


・<絆>という言葉を辞書で引いてみる。『広辞苑』にはこう出ている。<①馬・犬・鷹など、動物をつなぎどめる綱。②断つのにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛> (中略)


<絆>というのは人間にとって厄介なものらしい。<自由を束縛するもの>という言いかたになると、もうはっきり否定のイメージのほうがつよい。


・もともと日本人は、ながく墓などつくらず、遺体を山野に投げすてるのがふつうだったようだ。貴族や豪族は別として、庶民大衆のやりかたはそうである。葬る、という言葉の語源を、放る、とする説もある。(中略)


京都などの人気にある観光名所も、かつては遺体を放る場所だったところが多い。


・白状すると、私には自分でコントロールできないほどの浪費癖がある。<癖>という字にはやまいだれがついている。疾とか、病という字の親戚かもしれない。すると病気の一種だろうか。

・植物学のほうでは<馴化>という言葉があるのだそうです。その土地や風土に慣れ親しんできて、角がとれてきて、なんとなく皆さんの仲間入りをさせてください、みたいな感じになってくることを<馴化>というふうにいうのだそう


・むしろ自分の人生のなかでぶざまさ、そしてみっともなさ、弱さ、そういうものをありのまま、赤裸々に、子供たちに見てもらうことで、そこから子供たちが感じるものこそ、親が子供に与える大事な遺産のような気がして仕方がないのです。


・中国の道教の言葉でしょうか。<知足(ちそく)>という言葉あります。自分にとってそれほどのものが必要だろうか。(中略)


幸福ということについても私たちは貪欲するのではないか。いま与えられてあるものだけで感謝して満足する、足ることを知る、そのほうが人間らしいのではないか。それは単に物のことだけではなく、内面的な精神の問題としてもそうである。


・人生に決められた目的はない、と私は思う。しかし、目的のない人生はさびしい。さびしいだけではなく、むなしい。むなしい人生は、なにか大きな困難にぶつかったときに、つづかない。人生の目的は、「自分の人生の目的」をさがすことである。


●書籍『人生の目的』より
五木 寛之 著
幻冬舎 (1999年11月初版)
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