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永山 久夫 氏 書籍『たべもの江戸史』(河出書房新社 刊)より

このページは、書籍『たべもの江戸史』(永山 久夫 著、河出書房新社 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・茶漬け系の食べ方は、平安時代からあった。「水飯(すいはん)」(水漬)であり
「湯漬(ゆづけ)」である。


・日本人の常食は米の飯(農民は雑穀併用)であるが、奈良時代から男子一日の量は、おおよそ五合とされてきた。古くは朝夕の二回食で、これを「朝餉、夕餉(あさげ、ゆうげ)」といった。当時の米の調理は、主として蒸した飯、つまり強飯(こわいい・今のおこわ)だったので、腹持ちがよかったのでだろう。


・西洋人の四味「甘、辛、塩、酸」と、中国人の五味「甘、辛、塩、酸、苦」に“うま味”を加えた六味が、日本人が伝統的に体得してきた味覚といわれている。


・江戸の味の基本をつくった調味料は、現在よりも種類が豊富であった。明治以来次々に消えていった味付けには、

たれ味噌------味噌に水を入れて煮つめしぼった汁。
生たれ------味噌に水を入れてしぼる。
煮貫------生たれにカツオを入れて煮出したもの。
煎酒------酢のものやあえものなどに用いる。カツオ、梅干しなどを古酒に入れて煎じる。
だし酒------酒にカツオ、塩少々を入れて煮出す。
どぶ------酒粕をしぼってつくる。

などがあった。


・江戸時代に用いられた主な薬味は、生姜、山椒、唐辛子、大根、胡椒、紫蘇、山葵(わさび)、大蒜(にんにく)、葱、茶子、柚子、蓼(たで)、三葉、茗荷などであった。


・冬のために残そうとすれば、乾燥させるか塩蔵するしかなかった。日照時間が短くて気温の低い北国や山間部では、日干しは困難だから、漬けものにたよらざるを得ない。このため冬の長い東北や京都で漬けものが発達した。(中略)うまい漬けものは、寒い地方に限るのである。


・梅干がこれほど日本人に好まれるようになった背景には、その酸味が米食によく合うだけでなく、梅のアルカリで米の酸性を中和させるという、米食民族の大きな選択もあったことを忘れてはならないだろう。


・醤油を最初に商品化したのは紀州の湯浅で、最盛期には、湯浅を中心に百をこす醸造家が生まれ、その製法が紀州の漁師たちによって関西や関東へ伝えられたといわれている。銚子の醤油醸造の発達も、紀州との接触が土台になっているという。


・味の多様性は味噌だけに限らず、発酵食品共通の特徴でもあり、美点でもある。一般的にいって、北国系の味噌は“辛口”で、暖かい地方は“甘づくり”が多い。


・鮨は“酸し(すし)”

古代の鮨は、米飯を発酵材料として大量に使用する。つまり、魚肉を塩につけてから、飯と飯の間に漬けこみ時間をかけて熟成させる。乳酸発酵にとって酸味のしみこんだ魚肉だけを食べて、粥状になった米飯はすてる。魚肉に移った酸味から“スシ”の言葉が生まれた。


・すしの世界に革命をもたらしたのが、文化七年(一八一〇)に、本所横綱に開店した花屋与兵衛というすし屋である。もともとは押しずしだったが、いろいろ試みた末に、酢でしめた握り飯に魚の切身をのせることを考案した。文政期に入ってからである。


・菓子は元来は“果子”のことで、木の実や果実を意味していた。この果実を、江戸では「水菓子」といい、上方では「くだもの」といった。


●書籍『たべもの江戸史』より
永山 久夫 著
河出書房新社 (1996年12月初版)
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