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平田 オリザ 氏 書籍『わかりあえないことから~コミュニケーション能力とは何か』(講談社 刊)より

このページは、書籍『わかりあえないことから~コミュニケーション能力とは何か』(平田 オリザ 著、講談社 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・現在、表向き、企業が新人社員に要求するコミュニケーション能力は、「グローバル・コミュニケーション・スキル」=「異文化理解能力」である。OECD(経済協力開発機構)もまた、PISA調査などを通じて、この能力を重視している。(中略)


日本企業のなかで求められるもう一つの能力とは、「上司の意図を察して機敏に行動する」「会議の空気を読んで反対意見は言わない」「輪を乱さない」といった日本社会における従来型のコミュニケーション能力だ。(中略)


いま就職活動をしている学生たちは、あきらかに、このような矛盾した二つの能力を同時に要求されている。しかも、何より始末に悪いのは、これを要求している側が、その矛盾に気がついていない点だ。


・私は、いまの日本の子どもたちが、コミュニケーション能力が低下しているとは考えていない。


・現今の「コミュニケーション問題」は、先に掲げた「意欲の低下」という問題以外に、大きく二つのポイントから見ていくべきだと考えている。


一つは「コミュニケーション問題の顕在化」という視点。
もう一つは、「コミュニケーション能力の多様化」という視点。


・全体のコミュニケーション能力が上がっているからこそ、見えてくる問題はあるのだと私は考えている。それを私は、「コミュニケーション問題の顕在化」と呼んでいる。


・人間は何かの行為をするときに、必ず無駄な動きが入る。たとえばコップをつかもうとするときに、最初からきちんとコップをつかむのではなく、手前で躊躇したり、一呼吸置いたりといった行為が挿入される。こういった無駄な動きを、認知心理学の世界ではマイクロスリップと呼ぶそうだ。(中略)


すぐれた俳優もまた、この無駄な動き、マイクロスリップを、演技の中に適切に入れている。(中略)この無駄な動きは、多すぎても少なすぎてもいけない。うまいと言われる俳優は、これを無意識にコントロールしているのだろう。


・柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺

という句を聞いただけで、多くの人々が夕暮れの斑鳩の里の風景を思い浮かべることができる、これは大変な能力だ。


・対話と対論の違い(中略)

「対論」=ディベートは、AとBという二つの論理が戦って、Aが勝てばBがAに従わなければならない。Bは意見を変えねばならないが、勝ったAの方は変わらない。「対話」は、AとBという異なる二つの論理が摺りあわさり、Cという新しい概念を生み出す。AとBも変わる。まずはじめに、いずれにしても、両者ともに変わるのだということを前提にして話を始める。


・韓国では、箸とスプーンを使って飯を食う。厳密には箸でおかずを食し、スプーンで飯を食ったりスープを飲んだりする。食事の際には食器を持ち上げてはいけない。だいたい金属の食器であるから、熱くて持ち上げることはできない。


・私たち日本人は、靴を脱いで上がり框に足をかけるとき、脱いだ靴をくるりと反転させる。しかし、聞くところによると、韓国の方たちはこれを嫌がるらしい。「そんなに早く帰りたいのか」と思うのだそうだ。


・標準的な看護師さんは、「胸が痛いんです」と言われると、「どう痛いんですか?」「どこが痛いんですか?」「いつから痛いんですか?」と問いかける。これは当たり前の行為。(中略)


コミュニケーション能力の高いとされる看護師さんは、そうは答えないそうだ。患者さんから「胸が痛いんです」と言われると、そのまま「あぁ、胸が痛いんですね」と、まずオウム返しに答える。ただの繰り返しに過ぎないのだが、これが一番患者さんを安心させるらしい。


・ホスピスでのコミュニケーション(中略)

そんなある日、ベテランの医師が回診に訪れたとき、やはりその奥さんが、「どうして、この薬を使わなきゃならないんですか?」とくってかかった。ところが、その医師はひと言も説明せずに、


「奥さん、辛いねぇ」


と言ったのだそうだ。奥さんは、その場では泣き崩れたが、翌日から二度とその質問はしなくなった。要するに、その奥さんの聞きたかったことは、薬の効用ではなかったということだろう。


「自分の夫だけが、なぜ、いま癌に冒され、死んでいかなければならないのか」を誰かに訴えたかった、誰かに問いかけたかった。


・「心からわかりあえなければコミュニケーションではない」という言葉は、耳に心地よいけれど、そこには、心からわかりあう可能性のない人びとをあらかじめ排除するシマ国・ムラ社会の論理が働いていないだろうか。(中略)


しかし、わからないから放っておいていいというわけではないだろう。価値観や文化的な背景の違う人びととも、どうにかして共有できる部分を見つけて、最悪の事態である戦争やテロを回避するのが外交であり国際関係だ。


・二〇〇九年のPISA調査では、初登場の「上海」が一位に躍り出た。(中略)

PISA調査は国ごとに参加するものだと私たちは思っていたのだが、地域で参加して、ものの見事に一位をかっさらっていってしまった。善し悪し別にして、こういった発想は日本人にはあまりない。


●書籍『わかりあえないことから~コミュニケーション能力とは何か』より
平田 オリザ 著
講談社 (2012年10月初版)
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