FaxDMトップ > 会社案内 > 成功者の知恵 > 書籍『誰かに教えたくなる「社名」の由来』(本間 之英 編集、講談社 刊)より

書籍『誰かに教えたくなる「社名」の由来』(本間 之英 編集、講談社 刊)より

このページは、書籍『誰かに教えたくなる「社名」の由来』(本間 之英 編集、講談社 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・社名には大きく分けて、「姓・地名型」「夢・信条型」「事業内容表現型」の3つがあるようである。


・「島津製作所」は、薩摩藩の島津家と大いに関係がある。(中略)島津源蔵が科学立国の理想に燃えて、理科学器械を製造する、「島津源蔵」という自らの姓名を社名にして会社を興したのが始まりである。


・三洋電機(株) 〈SANYO〉(中略)

「三洋電機」は3つの海を越えようとした。(中略)3つの海とは、太平洋、大西洋、インド洋のことで、「3つの海を越える」とは、まさに「世界のすべての国を相手にする」ことになる。


・三洋電機(株) 〈SANYO〉(中略)

敗戦を経験した井植がこの名に込めたのは、「将来、世界はひとつであると思う。努力して社会に貢献したものは、世界からも迎えられるようになる。世界を相手に仕事しよう」との思いである。


・「任天堂」の最大の功績は、単にゲームと映像を結びつけたことだけはない。「1つのゲーム機で1種類のゲーム」という常識を打ち破り、ゲームをソフト化して別売りにしたことだった。


・住友スリーエム 〈3M〉

「3M」は、(中略)ミネソタの鉱山工業会社という意味の「Minnesota Mining & Manufacturing Co.」を社名とし、頭文字から、3mと呼ばれるようになった。


・コニカミノルタホールディングス(株)(中略)

「ミノルタ」の創業者・田嶋一雄には、若い頃に母親からくどいほど論された言葉が胸に刻まれていた。それは、「稔るほど頭を垂れる稲穂のように、常に謙虚でありなさい」(田嶋の自伝から)というものだった。頭を垂れた稲穂が「稔る田」、つまり「ミノルタ」というわけである。


・日清食品(株)(中略)

昭和46年に誕生した「カップヌードル」は、1つの容器が、パッケージ、調理器、食器の3種類を果たす、従来にない発想のインスタントラーメンだった。


・日清食品(株)(中略)

「日清」は、「日々、清らかに豊かな味をつくる」という創業者の願いがこめられた名前だった。ちなみに、ラーメンの原料の小麦粉を作る製粉業界トップの日清製粉と資本関係はない。


・「カルピス」という名称は、英語のカルシウムと、サンスクリット語(梵語)のサルビス(練乳)を組み合わせた造語であった。本来はカルビスだが、互換をよくするために「ビ」を「ピ」に変えた案が採用されたわけです。梵語にこだわったのは、三島が僧侶の息子だったためである。

※三島とは、宣伝の天才といわれた創業者の三島海雲のこと。


・三菱商事(株)(中略)

「三菱」という名は、土佐藩の藩主・山内家の家紋「三ツ柏」と、岩崎家の家紋「三階菱」を組み合わせて、岩崎自身が考案したマークの呼び名から生まれたといわれている。

※岩崎とは、岩崎彌太郎のこと


・丸善(株)(中略)

創業者・早矢仕有的(中略)

当時、有的は店主名として「丸屋善八」という名前を使っていた。「善吉」というのは有的が故郷の岐阜を出てくるときに、恩を受けた高折善六という人物を追慕するために用いた架空の名前だった。ただし、恩人の名前そのままの「善六」では畏れ多いとして、「丸屋善八」と名乗ったのだった。


こうして有的はいつしか「丸善」と呼ばれるようになり、丸屋商社は明治13年に「丸善商社」と改称。同26年に現在の社名になった。


・(株)紀伊國屋書店(中略)

創業者・田辺茂一(中略)

田辺の8代前の先祖は紀文と同じ紀伊出身だった。その初代が紀州徳川家の江戸藩邸の足軽だったことから、後に商売を営んだときに、屋号として出身地を表す「紀伊國屋」を掲げたのが現在の社名の起源となっている。


●書籍『誰かに教えたくなる「社名」の由来』より
本間 之英 編集
講談社 (2007/3/21)
※amazonで詳細を見る