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永江 朗 氏 書籍『「本が売れない」というけれど』(ポプラ社 刊)より

このウェブサイトにおけるページは、書籍『「本が売れない」というけれど』(永江 朗 著、ポプラ社 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。


・本屋大賞は売るための制度統制がよく考えられている。受賞が決まった瞬間、全国の書店で一斉に受賞作が売り出されるのだ。しかもPOP等まで飾られている。そのために周到な準備が行われている。つまり、大賞発表の前に大賞は決まっていて、各書店は本を仕入れておく。受賞作を出した出版社は増刷するなどして、全国の書店からの注文に応える。大賞決定まで情報を漏らさないのはいうまでもない。


・大型店では文芸書の担当はひとりだけというケースは珍しくない。


・いま文芸書の初版部数(最初に発行する部数)は数千部である。純文学系の作品になると、3000部から6000部ぐらい。エンターテインメント系でも6000部から1万部。まれに初版数万部という作家もいるが、それは過去にベストセラーを出していて、現在も固定読者がいる人に限られる。


・新しい書店を開こうとすると、地元の書店組合との話し合いが必要だった。(中略)東京駅八重洲口に八重洲ブックセンターができた当初は、文庫の扱いをしないということで調整がまとまった。文庫を扱うようになったのは開店から何年もたってからだった。


・活字離れといわれて40年(中略)

「活字離れ」といわれて久しい。国立国会図書館サーチで検索してみると、1972年に『活字離れの現象をどう考えるか 問題点と施策』という本がヒットする。社会学者、稲葉三千男の講演録らしい。

そのほか、「活字離れ防止に効果 床屋さんにミニ図書館 実を結ぶ地域文庫運動」という記事が78年9月30日の秋田魁新報夕刊に載ったり、雑誌「言語生活」が79年5月号で特集「活字ばなれ」を組んだり、日本読書学会の「読書科学」が阪本一郎の論文「活字ばなれの時代」を載せたり(80年)。80年代の後半になると「活字ばなれ」に替わって「読書ばなれ」という言葉が使われるようになる。


・小・中・高校生の平均読書冊数推移

※「第59回読書調査」(全国学校図書館協議会)より作成。


・出版不況は雑誌不況だ(中略)小さな書店にとっては、雑誌の売上は大きい。(中略)売場の半分以上が雑誌という書店も珍しくない。(中略)コミックスの売上は雑誌にとしてカウントされる。雑誌は中小の書店を経営的に支えてきた。


・「読者ばなれ」の中身を腑分けしていくと、いろんなものが見えてくる。まず「読者ばなれ」の実態は、「出版不況」であること。そして、「出版不況」のおおもとは「雑誌不況」であること。ならば出版界の景気回復には雑誌とコミックスの販売回復を目指したほうがいいのではないか。


・なぜ新刊書が売れないのか。その理由を考えてみよう。まず読書環境の多様化がある。(中略)


ブックオフが登場したことで、新刊本を新刊書店で買うのは「損だ」と感じる人びともあわられた。(中略)

古書も含めて「買う」だけではなく、「借りる」という選択肢も生まれた。図書館で本を借りる人が増えた。


・ブックオフや図書館が新刊書店の売上を阻害し、書店の経営や出版社の経営を危うくしているのだろうか。逆かもしれない。図書館が増えたから新刊書が売れなくなったのではなく、新刊書が売れない(新刊書が買えない)から図書館で借りるのではないか。いや、新刊書を「買えない」のではなく、「買わない」のかもしれないとぼくは考えている。


・景気が悪くなったので新刊書を買わなくなった、買えなくなったのだ。しかも新刊書を買わなくても、読書欲を満たすものができた。それがブックオフであり図書館だった、ということではないのか。


・「切り詰めなくっちゃ」と思う。人びとがブックオフや図書館に向かったのは、そんな気分があったからではないか。新刊書を買わずにブックオフや古本や図書館で済ませることは、いちばん実感できる倹約だ。


・取次や書店が発表するベストセラーランキングは文庫を除外したものが多いが、リブロのように文庫も含めたランキングを発表している大手書店もある。リブロのランキングを見ると、圧倒的に文庫が多いことがわかる。発行形態別の推定発行金額でいうと、文庫本の構成比は20.4%。発行部数では35.6%(ともに2013年)。


・2013年の推定販売冊数は6億7738万冊だ。ピーク時から2億6641万冊減ったことになる。ブックオフの13年における販売冊数は2億7525万冊である。(中略)


この数字だけを見ると、新刊書の販売冊数がそっくりブックオフに移ったように見える。(中略)


これに図書館での貸出冊数の増加分を加えると、「読書ばなれ」という常識への疑問は強くなる。


・規模の小さな街の本屋では、「ちょっと前」の新刊、2、3年前に出た本が意外と手に入りにくい。一方、ブックオフが得意なのはこうした「ちょっと前」に出た本だ。

・かつて大型書店とは売場面積100坪以上の書店のことだった。(中略)しかしいまは売場面積1000坪以上の書店が珍しくなくなった。


・書籍の配本システムは規模と立地と実績を重視する。より売れる店に多く、そうではない店にはそれになりに、という原則だ。そのほか、取次への支払い状況など考慮される。


・10坪の書店よりも100坪の書店のほうにたくさん配本されるし。1000坪の書店にはもっとたくさん配本される。


・アマゾンの上陸で客注の売上が奪われただけでなく、街の本屋・メガストアを問わずリアル書店の店頭がショールーム化してしまった。とくに大きな本、重い本はそうだ(それはたいてい高額本でもある)。


・アメリカの電子書籍のマーケットシェアは3割程度・ジャーナリストの大原ケイは、ひとまず3割で落ち着くのではないかと予測している。


・新古併売は読者(消費者)にとっていくつものメリットがある。まず、商品の選択の幅が広がること。(中略)また、値段の選択肢も広がる。(中略)もう一つ大きいのは、読者(消費者)が自分の本棚の本を気軽に手放せることである。(中略)本の置き場に困っている。蔵書の一部を古書店に売れば、新刊書を購入するスペースができるのだ。


・技術革新により、少部数でも安く印刷・製本できるようになった。だったら、いままで半年かけて3000部売っていた本は、最初に1500部だけつくって、あとは500部ずつ3回刷ればいい。そう考える出版社が増えた。少部数ずつ増刷するほうが倉庫代もかからないし、著者への印税も少なくてすむ。


・ミドルクラス書店は書籍の比率が高い。その書籍がミドルクラス書店にあまり配本されなくなった。(中略)ここからは推測で、(中略)支払い状況の悪い本屋に対して、取次は配本の優先順位を下げる。(中略)メガストアに優先的に新刊が配本されることで客がそちらに流れた結果だということもいえるだろう。


・大学への外商は二つある。一つは大学図書館への納入だ。(中略)二つめは大学の教員への外商だ。研究者は大量の資料を必要とする。ちなみにぼくは2008年から2013年まで早稲田大学の勤務したが、年間の個人研究費は約40万円だった。(中略)それでは足りず、自分のお金でもたくさん本を買っていた。


・アマゾンを創業したジェフ・ベゾスがすぐれていたのは、この無店舗販売という点に注目し、インターネットによる販売と結びつけたところだ。本屋にとって店舗というのは足かせなのである。


・紀伊國屋書店の年商はおよそ1100億円ほどで、そのうち店舗部門は600億円弱、外売が450億円ほどである。


・電子書籍の登場によって、著者・出版社・取次・書店・読者は、互いに利害が一致することもあれば利害が対立することもあるということがあきらかになった。振り返れば、「三位一体」や「二人三脚」といわれた紙だって、利害の対立を内包していたのだ。それを半世紀にわたる出版流通の慣行が覆い隠していたにすぎない。


・現時点でもすでに電子書籍のほうがメジャーな分野がある。辞書と地図だ。


・本屋には「35歳限界」説というのいうのがある。(中略)35歳になりと書店員を続けられなくなるというのだ。(中略)仕事はきつく、給料は安かった(中略)自分が受けたのと同程度の教育を、自分の子どもたちに受けさせることができるだろうか、という不安


・87年と13年では本屋の環境も大きく変わった。定休日はなくなり、営業時間も長くなった。売場面積も広くなった。経営者にとっては人件費や家賃や光熱費の負担がはるかに増えた。


・おおむね、35%ぐらいの粗利があるといいね、という声が本屋では多い。


・出版界では「インペナ」制への取り組みがある。incentiveとpenaltyである。その本を売れば褒美を得ることができるが、返品すると罰金を取られる。(中略)ようするに仕入れの正味と返品の正味に価格差をつける。たとえば本屋の仕入れ正味を65%にする。売れれば35%のマージンが得られる。そのかわり返品の正味は75%にする。返品すると10%分、本屋は損をする。出版社は返品されても10%は儲かる。


・ランキング依存(中略)売れているものにははずれはないだろうという考えもあるが、他人の嗜好で自分の行動を決めていることに変わりはない。それをマーケティングといってしまえばその通りだけど。


・本の価格を倍にするだけで、出版界が抱える問題のかなりが解決する(中略)書店のマージンも倍にある。1000円で220円だったのが、2000円で440円になるのだ。販売にかかる手間は同じである。(中略)


値段が上がれば読者(消費者)も購入には慎重になるだろう。買っても損をしない本だけを買おうとするようになる。出版社もそれを見越して企画を絞りこむ。そうなれば出版点数も減る。


・何冊売ってもマージンが同じというのは、一見すると零細書店に大型書店も平等でいいことのように思える。しかしほんとうそうか。(中略)1000店の零細書店に1冊ずつ配本するよりも、1店のメガストアに1000冊配本したほうが、取次や出版社にとってがコストダウンになる。大型店が配本面で優遇されるのは、大型店に販売力があるからだけでなく、集中させるほうが取次・出版社にとって都合がいいからはでないのか。


・出版社も本屋も取次におんぶにだっこ


・本屋は「仕入れて売る」という商いの原点に戻るべきだ。


・いま活気のある書店に共通しているのは、経営を本だけに頼ろうとしていない点だ。(中略)たとえば学校教科書の販売など大口の外商収入、不動産収入、雑貨や飲食などの収入である。


・マルノウチリーディングスタイルの特筆すべき点は、これが大手取次の経営であるということ。取次業界第3位の総合取次、大阪屋の子会社、リーディングスタイル株式会社が経営しているのである。(中略)取次が書店を開店するということが意外だった。


・神田神保町の老舗書店、東京堂書店(中略)

書店として老舗であると同時に、取次のルーツであり、日本の出版流通を作った会社だ。神保町の本店は作家や編集者に愛され、その品ぞろえには定評がある。日本文藝家協会が文芸部門専門店として認めた2店のうちの1店だ(もう1店は米子市の今井書店「本の学校」)。


・東京堂書店は500円の文庫を売るのをやめて200円のコーヒーを売ることにしたのではない。500円の文庫を売り続けるために、200円のコーヒーを売ることにした。200円のコーヒーが500円の文庫を支える。


・零細店の閉店と大型店の閉店は、たんなる「置き換え」ではない。零細店と大型店では商品構成がまったく違う。零細店の商品構成は雑誌と文庫とコミック、そしてわずかばかりの書籍。それに対して大型店では書籍が多い。


・大手出版社にとって雑誌は経営の支えだった。販売収入と広告収入の両方があるからだ。これが収縮していったことは経営的に大打撃だ。


・古書の販売部数と図書館での貸出冊数を合わせると、新刊書の販売冊数を超える。つまり「(新刊の)本が売れない」ことを、「読者ばなれ」のせいにするのは無理だ。ぼくたちは本を読んでいる。ただ、その読んでいる本が、必ずしも書店で買った新刊ではなくなっただけのことだ。


・書店は「仕入れて売る」という商売の基本的能力をもっと向上させなければならない。取次まかせではなく、書店が仕入れる本を選んで品ぞろえする能力だ。


・あたらしい本屋をつくろう(中略)

取次との契約がやっかいなのだ。明文化された資料がないので伝聞で判断するしかないのだが、契約するためには保証金と保証人が必要になる。保証金は予測される売上げの何か月分か。ぼくが聞いたのは3か月分だ。それと保証人が3人。月商1000万円をめざす書店だったら、保証金が3000万円。店舗の保証金や内装代、本棚などの什器代、そして書籍・雑誌の商品代。これらを合わせると、1億円ぐらいはかかりそうだ。とても個人では用意できないだろう。これが古本屋だったらうんと少ない費用で済む。


・いま考えるべきことは、出版社が生き残るためのアイデアでもなく、書店が生き残るためのアイデアでもない。(中略)すべては、この「本」と「著者」と「読者」のために何ができるかから問わなければならない。


●書籍『「本が売れない」というけれど』より
永江 朗 著
ポプラ社 (2014年11月初版)
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