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永江 朗 氏 書籍『新宿で85年、本を売るということ』(メディアファクトリー 刊)より

このウェブサイトにおけるページは、書籍『新宿で85年、本を売るということ』(永江 朗 著、メディアファクトリー 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。


・田辺茂一。本名は「しげいち」ですが、もっぱら「もいち」と呼ばれ、自分でそう名乗っていました。


・田辺茂一は本もたくさん書きました。戦前は『作品の印象』『轗軻(かんか)』といった評論を刊行し、戦後は『酔眼竹生島(ちくぶしま)』『茂助の昨今』『夜の市長』『あんなたわけ』『浪費の顔』『おんな新幹線』などエッセイを刊行しています。


・なぜ紀伊國屋書店が日本の書店界のリーディングカンパニーといわれるのか。年商1081億円(2012年8月期)。従業員数4000名。全国に64店舗。30営業所。海外に24店舗。


・紀伊國屋書店の創業は1927(昭和2)年である。創業者は田辺茂一。田辺さんは1905年2月12日生まれで、誕生日をむかえる前だから21歳! うんと若かった。


・「紀伊國屋書店のもとの商売は炭屋」と言われるけど、正確には薪炭問屋である。しかも、かなり大規模に事業を展開していたようだ。(中略)つまり、田辺さんはお金持のおぼっちゃんだったのだ。


・「田辺茂一修行半日伝説」というのが出版界にある。あの紀伊國屋書店の創業者、田辺茂一は、半日しか書店修行をしなかった、という伝説である。そのココロは、書店の仕事は半日あれば覚えられる、もしくは、書店は素人でもはじめられる、というものだ。半分は正しく、半分は間違っている。


・青山ブックセンターといえばセレクトショップ型の書店のハシリとして知られるが、その特徴ある品揃えは望んだというよりも消極的な選択の末だったと、創業時の経営者から聞いたことがある。


・紀伊國屋書店は田辺茂一さんがはじめて、松原治さんが大きくした。生みの親が田辺さんで育ての親が松原さん。もしも松原治さんがいなければ、今日の紀伊國屋書店はなかっただろう。


・なぜ紀伊國屋書店は日本一の書店になったのか(中略)

まず田辺さんが受け継いだ薪炭(しんたん)問屋・紀伊國屋の資産。お金だけでなく不動産を持っていた。それも新宿駅という乗客数世界一のマンモスステーションの前の土地というのは大きい。(中略)


次に洋書の輸入販売。ところが洋書は違う。自由に値段がつけられるし、マージン率も仕入れる量によって変わる。返品できないリスクはあるが、そこをうまくコントロールすると大きな利益を得られる。


そして3つ目が大学図書館を中心とする外商である。


・これという本を大学の研究室や病院に持っていって、研究者と話し込むわけです。どういう本がほしいかを聞き出して注文につなげていく。


・慶応の担当というのは恵まれていました。図書館情報学科があるくらいだから図書館を大事にするし、教授陣も一流です。そういう先生のところに本を売りに行くのだから、勉強になりました。


・テナントに金融機関が入れば見栄えがいい。家賃収入も安定するだろう。しかし3時で閉店してしまうし、日曜日は営業していない。つまり書店にとってもっとも繁盛する時間帯の曜日に、表の店が閉まっているのだ。これではお客の気持ちを萎えてしまうというもの。だから銀行には貸さなかった


・「レザミの会」とう団体がある。紀伊國屋書店洋書部OBの会で、いまも定期的に歓談している。レザミは新宿仲村屋5階にあったレストランの名前で、いつも集まりがここでおこなわれたことから名づけられた、レザミ(les amis)はフランス語で「友達」という意味だからOB会にもふさわしい名前だ。


・梅田本店は大成功だった。出版界では、梅田本店の販売動向を見て、書籍の重版のタイミングを決めることが多かった


・さまざまな人が語る田辺さんの人物像を見ていると、豪放磊落(ごうほうらいらく)でいい加減なように見えながら、あちこち細かいところに気を配る人だったとわかる。


・「誕生日になると、お店から本1冊持ってきていいんですよ、好きな本を。社長室に行って、茂一さんがサインしてくれるの。高井君、誕生日おめでとうとかって」と高井さんは述懐する。


・定年退職した桃井容子さんが1974年入社で、38年間、紀伊國屋書店に勤務した。38年間のなかでいちばんの衝撃は、入社式での田辺さんのスピーチがだったという。


「入社早々、辞めていいと言う社長がいるとは思いませんでした。『仕事をしてみて、合わないと思ったらさっさと辞めろ。時間の無駄だ』と田辺は言ったんです。『仕事は他にもたくさんあるだんから』とも。『やってみて、ほんとうにこの仕事が楽しいと思えるならば、汗水流してやってほしい』とも言いました。すごく印象に残っているんですね。それが38年間、ずっと基本にある。(中略)」


・新宿本店ならではのクレームもある。お客も「紀伊國屋書店なのだから」と期待するからだ。探している本がなければ「どうして?」となる。出版社での残部僅少本はもとより、品切れ本や、時には絶版本を探して遠方から来る客もいる。


・『何番の棚の何段目、右から何冊目』なんて言える人もいました。先輩の中には取次倉庫のどの棚に何が入っているかまで熟知している人もいました。


・新規に書店を開店するときは、まず店のコンセプトを決め、それに従ったレイアウトやジャンルごとに棚の配分などを決める。次に、どのような本を置くのかリストアップして、出版社に注文する。店舗がまでできていないので、注文した本はいちど倉庫に入る。スタッフは倉庫まで行って検品する。1日では終わらない、何日もかかる。


・紀伊國屋書店で入手できない本はない、という「神話」がある(中略)「いままで取引のない出版元、書店での扱いがなくて、直接販売しかない出版物でも、お客様から何度も問い合わせがある本は、出版元と交渉をします。取引条件が合えば、上司や仕入れに相談して、お試しで1ヵ月やってみろうとか、半年やってみようということで仕入れます。そうやって始まって、定番になった本も数多くあります。新宿本店で成功したから、他店でも扱ってみようということもある」


・よく出版界はマーケティング不在の業界と言われるが、そんなことはない。


・売れ調(うれちょう)=売れ行き調査と呼ばれる。売れ調は人がたくさん集まり、本がたくさん売れる書店でおこなわないと意味がない。


・出版社が売れ調をする目的は、マーケティングデータの収集だけではない、という噂もある。売れ調をお願いしているあいだは、書店も当該の本を返品しくくいだろう、という期待だ。


●書籍『新宿で85年、本を売るということ』より
永江 朗 著
メディアファクトリー (2013年2月初版)
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