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土井 隆義 氏 書籍『友だち地獄~「空気を読む」世代のサバイバル』(筑摩書房 刊)より

このウェブサイトにおけるページは、書籍『友だち地獄~「空気を読む」世代のサバイバル』(土井 隆義 著、筑摩書房 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。


・クラスメートたちの多くは、互いの人間関係を円滑にこなしていくため、日々の自己演出に余念がない。たえず場の空気を読みながら、友人とのあいだに争点をつくらないように心がけている。


・繊細な気くばりを示す若者たち(中略)

相手から反感を買わないようにつねに心がけることが、学校で日々を生き抜く知恵として強く要求されている。(中略)

見方を変えれば、かつてよりもはるかに高度で繊細な気くばりを伴った人間関係を営んでいるともいえる。


・「今、このグループでうまくいかないと、自分はもう終わりだ」と思ってしまう。現在の人間関係だけを絶対視してしまい、他の人間関係のあり方と比較して相対化することができないからである。


・現代のいじめの特徴としてまず注目されたのは、ある特定の生徒だけがいじめの被害に遭うわけではないということ、すなわち被害者の不特定性だった。


・引っ込み思案がいじめられる一方で、出しゃばりもいじめられる。大人たちから見れば優等生のような生徒もいじめの対象となりうることが見えてきた。


・いじめの加害者には、かつてはいじめの被害者だった生徒も意外と多いし、逆に、かつてはいじめる側にいた生徒がいじめられる側に転じてしまったというケースもよく見受けられる。


・今日の被害者も、明日にはいじめの標的が他の生徒へと移って、今度は加害者の側へ回っているかもしれない。そんな状況のなかで、それでもあえて加害者を特定しようとすれば、場合によっては生徒全員ということにもなりかねない。いじめの主導権を握っているのは、いわば場の空気であって、生徒たちは誰もがそのコマの一つにすぎないからである。


・いじめの意味を遊びのフレームへと転化させ、自分を茶化してみせることで、人間関係の軋みを覆い隠し、見るに忍びない自分のすがたを避けようとしていたのではないだろうか。自分の人生を冗談めかして眺める態度は、悲惨な境遇に置かれた人間がしばしば見せるものであり、自分の尊厳を守るための心理的な反応の一つである。


・いじめ対策(中略)

特定の加害者を見つけ出して処分したからといって、それだけで問題の抜本的な解決に至るわけではない。(中略)

今日のいじめの問題は、教育基本法の改正議論で問題とされたような「規律の乱れ」から生じたものでもなければ、一部の政治家が指摘するような個人主義の行き過ぎから生まれたものでもない。事態はむしろ逆である。(中略)

個々の自律性を確保できずに互いに依存しあわなければ自らの存在確認さえ危うい人びとの人間関係から、そしてその関係自体が圧倒的な力を持ってしまった病的な状態から生まれている。


・高野悦子の「二十歳の原点」(新潮社)(中略)

この三十年間ずっと若者に読みつがれてきた青年文学の古典の一つである。


・ネット上の人間は、リアルな社会の人間とは全く異なる存在である。ウェブ日記の書き手は、読者のためというより、自分のために日記を書き、自分のために公開しているのである。


・高野の自傷行為も、南条のそれも、けっして死を希求したふるまいなどではない。むしろ、その行為の外見とは裏腹に、生の実感を希求してのふるまいである。


・「人間の存在価値は完全であることにあるのではなく、不完全でありその不完全さを克服しようとするところにあるのだ」(高野、一九六九年一月二日)。


・いまの私の生きづらさは、けっして偶然の所産ではないはずだ、そこには何らかの必然があるはずだ


・私が消えて
私のことを思い出す人は
何人いるのだろう
数えてみた

問題は人数じゃなくて
思い出す深さ
そんなことも分からない
私は幕迦
鈍い痛みが
身体中を駆け巡る
(南条、一九九九年三月二九日)


・国連児童基金の調査データによると、「孤独を感じる」と答えた日本の一五歳は、先進主要国のなかでトップの約三〇パーセントである。二位のアイスランドが約一〇パーセント以下、ロシアの約九パーセント、カナダの約八パーセントと続く。


・純粋な自分に強い憧れを覚える現代の若者たちは、かえって自分を見失い、自己肯定感を損なうという事態におちいっている。そのため、人間関係に対する依存度がかつてよりも格段に高まっている。


・水戸市で両親を殺害した青年も、土浦市で両親と姉を殺害した青年も、自らのひきこもりを妨げる者としての家族に反抗の刃を向けている。従来なら、家族の押しつけてくる世界観が自らの恐れと衝突したとき、自分の方から家を出ることが一般的だったはずである。ところが、この二人はそうせずに、逆に親を消去することで、さらに家に閉じこもろうとした。いや、そうせざるをえなかったのだともいえる。(中略)

この青年たちは、親を憎んで犯行に及んだわけではない。親との相克に耐えきれず、そのコミニケーションを遮断するために暴力を用いたのである。


・親が子どもに対等な人間関係を望めば望むほど、子どもの側は、たとえば第一章で扱ったいじめの被害のような本当に深刻な悩みを親に相談しづらくなってしまう。本音で語りあうよりも、その良好な関係の維持を優先させようとするからである。こうして、「優しい関係」の重さに耐えがたい人びとは、親子関係からも撤退せざるをえなくなっている。


・かつての青年たちが「私を見ないで」と叫んでいたとすれば、現在の青年たちは「私を見つめて」と叫んでいる。


・プロフという自己紹介サイト(中略)

プロフは、ネット上に開かれた自己紹介用のサイトでありながら、実際には人間関係を広げていく手段というよりも、むしろ自分を見つめてもらうことで、自己を確認するためのツールとして機能している。


・評論家の芹沢俊介は、「おそらく若い自殺志願者たちの共通にかなえる苦悩があるとすれば、この世に生まれたことに意味を見いだせないことではないか」と述べている


・あるがままの心、すなわち純粋な自分で生きようと願えば願うほど、かえって人は傷ついていく。昨今の若者たちが自分の居場所をしきりと気にするのも、おそらく自分に対して内閉的なまなざしを注ぐようになっているからだろう。


●書籍『友だち地獄~「空気を読む」世代のサバイバル』より
土井 隆義 (著)
出版社: 筑摩書房 (2008年3月初版)
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