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中村 明 氏 書籍『笑いのセンス~文章読本』(岩波書店 刊)より

このウェブサイトにおけるページは、書籍『笑いのセンス~文章読本』(中村 明 著、岩波書店 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。


・「ユーモア」は語源的に「体液」を意味したらしい。健康にとって体液が全身にゆきわたることが必要であるように、人間の円滑な活動にとってユーモアも必須の要素だというような抽象的な話ではない。生理現象としての笑いは現実に血行をよくし、栄養を全身にゆきわたらせて活力をあたえる。


・笑い声の種類(中略)

酸素不足であやうく気を失いかける長い笑いもある。逆にかすかな笑いもあり、声にならないほほえみや会心の笑みもある。程度の違いだけはない。破顔一笑・呵呵大笑・爆笑・哄笑・失笑・嘲笑・冷笑・憫笑(びんしょう)・苦笑・微笑・微苦笑・嬌笑・艶笑(えんしょう)という漢語風の笑いから、大笑い・豪傑笑い・ばか笑い・高笑い・せせら笑い・さげすみ笑い・あざ笑い・薄笑い・薄ら笑い・苦笑い・泣き笑い・そら笑い・つくり笑い・愛想笑い・ふくみ笑い・忍び笑い・思い出し笑い、あるいはほおえみ・ほくそ笑みといった和風の笑いまで。質の違いもさまざまだ。


・喜びとはうらはらな心情をひた隠す笑みである。質問に答えられずに笑い、答えたくないときにも笑い、誘いを断るときにも笑い、電車に乗りそこねては笑う。外国人を悩ます曖昧な微笑がそれだ。余裕のあるときに笑みをたたえて悠然としている(余裕の笑い)はごく自然だが、追いつめられて、笑っている場合ではないのに笑っていることもある。笑うことで、大した問題ではないと余裕を見せる縁起とも解せる。衝撃を受けたときの意外な笑いもそれだろう。


・井上ひさしの『小林一茶』という戯曲のなかに、「この意味(こころ)がわかるかい。わかるだろう。わかるべきだ。わからなければおよねさんは人間(ひと)じゃない。鬼か蛇だ。わかれ」という展開がある。「わかるかい」という疑問から、「わかるだろう」という推量の念押しになり、さらに「わかるべきだ」という義務に強まって、最後に「わかれ」という命令形で有無をいわせず結ぶこの流れは、徐々に力感を高める《漸層法》の典型例な例である。

この表現で特に笑わせるのは、そのため「わかる」という動詞がつぎつぎに形を変えて五回もくりかえされ、さながら活用表の感を呈しているところだろう。


・急激な方向変換という特徴を共有するため、ともに《飛移法》とよぶ。これも極端な落差が笑いを誘う。


・「馬から落ちて落馬して」という古典的な例があるが、「馬から落ちる」ことと「落馬する」こととはまったく同じだから、情報伝達の点で半分はむだな表現だ。おもしろみをねらって意図的にこういうむだを入れるのをひとつの技法と見て《冗語法》とよぶ。「腹を切って切腹する」も同様な例だが、「頭痛が痛い」のような新しい例や、「人っ子ひとりいない無人の島」と強調したり、「両親のいないみなしごの孤児」「年を取った女のお婆さん」のようにしつこく重ねたりすると、滑稽な感じがともなう。


・「また見方を変えれば」「それでいて」「その半面」「一方」「したがって」「にもかかわらず」と角度を変えながら


・「ばかで、まぬけで、おたんこなす」というふうに同格のことばを並びたてる場合を特に《列挙法》とよんで区別することがある。この技法も、並べ方次第でおかしみが生じる。


・島田紳助・松本竜介のコンビから。竜介が「そんなえらそうにいうてな、お前、総理大臣知ってんのか」というと、紳助は「総理大臣て、国の頂点やで。そんなん知らなかったら恥やないか」と威勢よくいう。「それじゃ言ってみな」と迫られると、いきなりいびきをかく。(中略)

自信たっぷりな言い方をすることで、とたんに寝るという直後の行為との落差を目立たせ、笑いの精度を高める。


・今いくよ・くるよのコンビ(中略)

二人とも、「結婚はまだか」とよく人に聞かれる話に移り、同じ「まだ」でも全然ちがうという。いくよの場合は「まだ結婚せーへんの」だが、くるよの場合は「まだ結婚でけへんの」だというのである。むろん、これは「しない」と「できない」の差であり、「まだ」の意味が違うわけではない。(中略)

心理的な違和感がなんだかおかしい。


・世間でふつうに「頭が悪い」といわれる人よりも「もっともっと物分かりの悪い呑込みの悪い」ことが科学者にとっては大事だという。常識的にわかりきったこと、少々頭の悪い人にも容易にわかりそうなごくあたりまえの事柄のなかに何かしら不可解な点を見いだして疑ってみることが、科学の研究の出発点としてきわめて重要だからだと、きちんと論拠を示す。


・現代作家で笑いということになれば、まっさきに井上ひさしの名が浮かんでくる。お泥国ほど多彩な技を駆使する作家だ。


・一体朝飯というものは、起き出してまず喰うから朝飯なのか、それとも朝のうちに喰うから朝飯なのか(中略)

「何としても起き出してから喰うのが朝飯だと信じている私は、朝飯を喰うために起き出すという気持には仲々なれない」ので、いつも朝飯を取りそこなってやりきれなく思う。


・読者の期待を裏切るのは、そういう涙を笑いにすりかえる窮余の一策である


・山口瞳は『井伏先生の諧謔(かいぎゃく)』という随筆で、「あの寿司屋はいい粉山葵(わさび)を使っている」とほめて高級寿司屋の職人を怒らせたという井伏の逸話を紹介している。皮肉にも聞こえるが、本わさびが何だ、偉そうな顔をするなという響きもある。本わさびという権威にこだわらず、本物を賞味する生き方が象徴されているような含蓄に富んだことばである。


・ある友人が五、六匹の猫を飼っていて、それに酒場の女の名前をつけ、美女をはべらせている気分で酒を飲んでいたが、いつからか猫の代わりに「狆(ちん)ころが顔を出すようになった」らしい。

※補足:狆ころ(ちんころ)とは犬の子のこと。または、子犬。


●書籍『笑いのセンス~文章読本』より
中村 明 (著)
出版社: 岩波書店 (2002年2月初版)
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