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戦後最大のベストセラー本の装丁

これが、戦後最大のベストセラー『日米會話手帳(小川 菊松 著)』の装丁です。

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※写真は、書籍「ベストセラーの戦後史 1(井上 ひさし 著)」より


四六半裁判、、32ページ、定価80銭。当初は、定価50銭、部数を30万部のつもりでいたそうです。が、配給会社である日配本店配給課の鍛冶忠一氏に話すと、「百万部買いましょう。定価は一円になさい。」との意見から、話し合いの上、80銭になりました。発売日は、昭和20年(1945年)9月15日。


発売と同時に注文が殺到。大日本印刷の輪転機を一週間動かして300万部を刷りまくりましたが、なお足らず、地方の中小印刷所を動員しさらに増刷をしました。


結果、発売から3ヵ月半という最短の期間で360万部を売りつくした戦後最大のベストセラーです。そのときの人口は7214万。実に、20人に一人がこの本を買ったことになるのです。しかも、子どもや老人を含めてです。いかにこの本が売れたのかがわかります。


さらに、戦後に企画発行された出版物の第1号という2つの勲章を持っている本でもあります。


この企画を立案したのが、誠文堂新光社の創業者、小川 菊松氏です。小川氏は、昭和二十年八月十五日、旅行中の房州岩井駅で天皇陛下の重大発表からひらめいたものでした。その後、帰社し、社員の加藤美生氏に原稿を作らせます。


加藤美生氏は「日支会話」や「日シャム会話手帳」を参考に、日本語の例文を作成し、東大の大学院生に三日間という短い期間で英訳させたものでした。


終戦後ということもあり、“刷れば売れる”といった出版ラッシュに突入した時代でした。『日米會話手帳(小川 菊松 著)』のあとには、雑誌『新生』というB5判、32ページで1円20銭のものが即日に36万部が売り切れになっています。


※『日米會話手帳(小川 菊松 著)』の装丁写真は、書籍「ベストセラーの戦後史 1」より
井上 ひさし 著
¥1,300
文藝春秋 (1995年9月初版)
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